病気の回復がビジネスメリットになる、ほかの事業者を巻き込んでいくのも大事。
さらに話題は、世界でも深刻になっている「慢性疾患」の問題へ。病院のなかだけでは治療が難しく、普段の生活における行動変容も必要となるこの領域にテクノロジーが介入していくにあたり、何が課題となっているのだろうか。
前田:若い世代の医師たちは、慢性疾患へアプローチできていないことに課題感を持っています。しかし慢性疾患の患者は、若い医師の多い大病院ではなく、いわゆるベテランの「町医者」が診ている場合が多いんです。だからこそ、町医者のなかでも新しい技術やサービスに理解のある人たちを巻き込んでいくことが推進力になるかもしれません。
相澤:現状の制度では、医師が予防医学に取り組むのはなかなか難しいと感じています。病気を予防するための研究よりも、すでに病気になった人の診療のほうが、直接の収入につながりやすいからです。さらに診療の場合、効いた・効かないという結果のいかんに関わらず、施した診療内容に応じて報酬が支払われる。これも一つの大きな問題だと考えています。
この現状を打破するためには、予防でも治療でも、成果に応じて報酬が支払われるシステムに変えていかなければいけません。その新しい報酬体系の構築に役立つのが、さまざまな人の健康状態の経年変化と、とられた予防策や治療などのビッグデータの分析だと思っています。
医療制度がすぐに変わる可能性は低い。しかし、そんな状況でもヘルステックをなんとか「ビジネス」につなげていかなければならない。ほかの業界に目を向けてみても、たとえば民泊や中古品の個人間売買など、業界のルールが変わるよりも先にビジネスが生まれ、社会を動かすようなブレークスルーが生まれた事例は多い。ヘルステックビジネスの未来にとって必要な考え方はどういったものだろうか。
相澤:技術だけでなく、ビジネスをつくる側のクリエイティビティーも求められていると感じます。売上のつくり方として、BtoCでユーザーから利用料をいただく方法ばかりではなく、たとえばBtoBtoCのように間に企業に入ってもらい、その企業にペイヤーになってもらうビジネスモデルも検討されていけば、ビジネスの可能性が広がると思います。
このいい例だと思うのが、1日8,000歩以上歩くと保険料の一部が返ってくる「あるく保険」。もともとは、NTTドコモの「歩数を記録するアプリ」というヘルステックのプロダクトですが、ユーザーとの間に保険会社が入ることで、「保険」という別の商品に生まれ変わっています。ユーザーはアプリを活用するほど健康になるし、契約者が病気をしなければ保険会社は嬉しい。三者ともにメリットのあるビジネスモデルになっているんです。
井上:なるほど。患者の病気がよくなることでハッピーになる、ほかの事業者を巻き込んでいくのですね。
相澤:そもそもBtoC市場はバリューチェーンが短いので、予防から診断、治療と長期的な視座で取り組むべきヘルステックとは必ずしも相性が良いとはいえないんです。しかしスタートアップの企業の場合、限られた資金のなかで事業を立ち上げなければならないことが多く、そのためにバリューチェーンを短くせざるを得ないという難しさを抱えている。
そうした状況もあって、フィリップスはグローバルアクセラレータープログラムを始めました。スタートアップの持つ尖った技術をフィリップスが組織化して、クリエイティブなソリューションを生み出す。そんな仕組みをつくっていきたいですね。
60歳までアメフトをプレーしたくて、AIパーソナルトレーナー「FAIT」の新規事業を立ち上げた。
白熱の第1部に続き、第2部のテーマは「ヘルスケアプロセスにおける未病のパーソナルケア」。テクノロジーの発展により生活データの収集や活用が可能になった一方で、それらデータの有用性の検証、プライバシー保護など解決しなければならない課題をはらむのが、疲労や、肩こり、不眠、虫歯予防といった「未病」の分野だ。
ソニーでAIパーソナルトレーナー「Fit with AI Trainer=FAIT(ファイト)」を立ち上げた廣部圭祐氏を筆頭に、ライオン株式会社で研究開発本部イノベーションラボ所長を務める宇野大介氏、株式会社フィリップス・ジャパンからはヘルステックソリューションズ・ソリューション事業推進部長の川嶋孝宣氏が登壇。モデレーターは日本を代表する民間の医療政策シンクタンク、日本医療政策機構より事務局長の乗竹亮治氏が担当し、「生活者目線のヘルステック」を核に据えた議論が交わされた。
乗竹亮治氏(以下、乗竹):まずは、みなさんの取り組まれていることから教えてください。
廣部圭祐氏(以下、廣部):私は3年前まで携帯電話のXperiaを開発する部門に在籍していましたが、どうしてもヘルスケアの仕事をしたいと社内で手を挙げて新規事業を立ち上げました。
「人生100年時代」を見据えると、「高齢になっても生活レベルを落としたくない」「認知機能を含めた身体機能をできるだけ長くキープしたい」というニーズがやはり出てくる。これをAIでサポートできるのではないかと。私はアメフトをやっているのですが、60歳までプレーできる身体を維持したいという個人的な野望もあり(笑)、開発したのが「FAIT」です。2017年10月からサービスインしました。
「FAIT」には日常の運動量や、睡眠、食事時間などを記録するほか、センサーとタブレットを使って体力と認知機能を測定する機能があります。そうして蓄積されたビッグデータから「どういった生活をした人が、どの程度の体力と認知機能を保っているか」を分析し、個別の利用者の未来予測とトレーニングアドバイスをサービスとして提供しています。
廣部:FAITのビジネスモデルとしては、BtoBtoCで、ユーザーとの間に別の企業に入っていただいています。介護事業者やスポーツクラブに使っていただいているほか、マンションに導入し購入のインセンティブとして活用いただくなどの事例もあります。
宇野大介氏(以下、宇野):私が所属するライオンのイノベーションラボは、新規事業創出につながる技術やサービスの研究開発推進のために、2018年1月にできたばかりの組織です。ライオンはいま次世代ヘルスケアのリーディングカンパニーを目指して、少しずつ変わり始めており、そのシンボル的な部所がイノベーションラボです。いま動いているところでは、舌の写真を撮影するだけで簡単に口臭のリスクがチェックできるアプリを開発しています。
川嶋孝宣氏(以下、川嶋):私たちフィリップス・ジャパンは、2018年5月に国立循環器病研究センターと医療AIを共同開発するプロジェクトを立ち上げました。さまざまな医療や健康データを共有して集積し、高度分析によって未来予測に活かす、オープンプラットフォームの構築を目指しています。
また、東北大学とは、「行動変容」に焦点を当てた共同研究を行っています。私自身、スマホのアプリと連携できる歯ブラシを使っているのですが、2週間くらいすると続かなくなってしまう。デジタルサービスやプロダクトを自然に使い続けてもらうため、人間の心理や五感に働きかけるにはどうしたらいいのか、研究を続けています。