健康データを集めて活用するうえで、個人情報の問題は一丁目一番地。
2018年5月に制定された「次世代医療基盤法」は、ヘルステックにとって追い風になると見られている。カルテや検査データといった医療機関が持つ患者の個人情報を、匿名化すれば患者の承諾なしに、大学や企業の研究開発などに活用できるようになったからだ。しかし一方で、「集めたデータは誰のものか?」という新たな議論も起きている。
川嶋:健康に関するデータを集めて活用させていただくうえで、やはり個人情報の問題は一丁目一番地としてあります。難しいのが、もちろん「個人情報を守ります」とはお約束するのですが、一般の方にとっては匿名化の技術の仕組みや安全性が、なかなか100%は理解しにくいことですね。
廣部:FAITでは、利用開始時にユーザーから許諾をいただき、ユーザーと弊社との両者でデータを持つ契約を結ぶことにしています。
川嶋:匿名とはいえ、患者のデータの所有権を完全に病院や企業のものにするのは難しいと考えています。やはりデータ提供者側の立場で考えることが大事ですよね。
廣部:一方で、そもそもバイタルデータを集めるにあたって、異業種から参入したソニーにとっては法規制の問題もまだまだ大きいです。データの取得、解析にあたっては、主に3つの技術が必要です。生体からデータを取得するセンサー、それをクラウドとつなぐ通信技術、そして得られたデータを解析するAIです。このうち現在、AIコンピューティングや通信の品質には各社それほど性能差がなくなっており、イノベーションが起ころうとしているエリアはセンサーなんです。
センサーの精度を上げるためには、最終的に身体の一部に埋め込むインプラントがもっとも良い。しかし優れたセンサー技術があっても、インプラントとなると法規制が障壁になってしまうんです。
健康な人に「これを使えばいいことがありそう」という期待感をいかに感じてもらえるか。
質疑応答では、さまざまな企業に務める人から疑問が寄せられた。なかには登壇者と近しい「イノベーションラボ」に属する方もあり、この領域にプレイヤーが増えていることを感じさせた。
質問者:「新規事業を立ち上げるまでのスピード感」はいかに早められるでしょうか。
宇野:ライオンとしては、イノベーションラボが組織された事実がまさにスピード感を求められている証左と思っています。私たちはもともと研究者なので、どうしても自分で手を動かしたくなってしまう。でもイノベーションのスピードを早くするためには、それをぐっと我慢して、「自分よりもっとできる人」に任せることだと思っています。要するに、オープンイノベーションを取り入れるのです。
質問者:多様なデータを取得して予測に活かすためには、「健康な人」のバイタルデータを得ることも重要だと思います。健康な人に使ってもらうために、どのような工夫をしていますか?
川嶋:若くて健康な人に対しても、「かっこよさ」「美容」など、健康のなかに含まれるテーマを通じて介入していくことが大事だと思っています。ユーザーの求めるバリューが何か、まだ私たちも試行錯誤しているのですが、そこに切り込んでいくのがいいのではないかと。
宇野:ライオンで私が担当してきたのは、主に医薬部外品である歯磨剤の分野で、これはあくまで予防のためのもの。だから医薬品と違って、明確に「こんな治療ができます」とはいえないのです。だからこそ「どんなインセンティブを与えられるのか」「これを使えばもっといいことがありそう、という期待感をいかに与えられるか」をいつも考えていましたね。
廣部:FAITは「UI」をポイントにしています。社内のクリエイティブチームが、ゲームに始まりあらゆるサービス、商品のデザインを手がけていることもあり、高齢者にも喜んでデジタルのプロダクトを使ってもらえるようなUIづくりにこだわりを持っています。
ヘルスケアのデータ分析はアプリが担い、人間力に優れた「かかりつけ医」が医療の根幹になっていく。
セッションの後には、モデレーターを務めた井上氏、乗竹氏によるラップアップが行われた。
井上:私が勤めるQuantumでは、ヘルスケアだけでなくいろいろな業界の新規事業のお手伝いをさせていただいています。イノベーティブなサービスを提供するにあたっては、先ほどのお話のようにUIが非常に重要で、いかに気持ちよく使ってもらうか、1秒でも早く、ワンクリックでも少ない動作で扱えるかというところに、サービスが大きく広がっていくかどうかの分かれ目があるんですね。
今日お話を聞いていて、医療もそういう段階に入ってきているんだなと思いました。もちろん倫理面などのヘビーなトピックもあるんですが、デザインの心地よさを考える、いわばライトな悩みもそこに同居している。
乗竹:20年くらい前からの銀行業界の変化に似ていますよね。かつては現金主義のこだわりが強い世の中で、買い物をするにも土日にATMからお金を引き出せなくて不便していました。しかし、いまやコンビニでも24時間お金を引き出せ、気軽にクレジットカードでオンラインショッピングもするようになった。同様の変化がヘルスケアにもくるはずです。自分のヘルスケアデータをポケットに入れて持ち歩き、病院で見せるような未来。そこにパラダイムシフトがある。
一方で、医療業界では「かかりつけ医」の価値が見直され始めています。厚生労働省で医務技監を務めていらっしゃる鈴木康裕さんは、最近のインタビューで、今後医師の役割が「病気や患者の分析」「患者への説得」「治療の責任を取ること」の3つに集約されていくだろうと仰っている。つまり、ヘルスケアのデータ分析はAIを使ったアプリなどが担うようになる一方で、人間力に優れた「かかりつけ医」が日本医療の根幹になっていくのかもしれません。
井上:今回は大企業、大学、スタートアップと、それぞれの領域のプレイヤーが協働していることが感じられました。ヘルステックの未来が楽しみです。