人間には「第二の脳」と呼ばれる器官があることをご存じだろうか。それは「腸」だ。最近の研究では、腸内環境のバランスの乱れが、肥満や糖尿病、肝臓がん、動脈硬化などの代謝疾患、さらにはアレルギーなどの疾患にも関わっていることが報告されている。
その腸内環境を左右するのが、約100兆個の細菌たちからなる「腸内フローラ(腸内細菌叢)」。この腸内フローラの状況を便から分析し、腸内環境の乱れによって発症する病気のメカニズム解明などに取り組んでいるのが、「病気ゼロ社会の実現」を目指す株式会社メタジェンである。
同社の代表取締役社長CEOでありながら慶應義塾大学先端生命科学研究所特任准教授を務める福田真嗣氏は、便のことを「茶色い宝石」と呼ぶ。不要で汚いもの、といったイメージのある便を「宝石」に例えるその理由は、便から腸内環境のさまざまな情報が得られるからだ。もしかしたら、その情報が私たちの健康に大きく寄与するかもしれない。「メタジェン」が見据える未来や腸内フローラの可能性について話を伺った。
腸内フローラは、わたしたちの体内における「もう1つの臓器」
HIP:最近、「腸内フローラ」という言葉がさまざまなメディアで取り上げられています。腸内フローラとはどのようなものなのでしょうか。
福田真嗣氏(以下福田):人間の腸管内には多種多様な腸内細菌が生息しており、その様子が一見お花畑のように見えることから、「腸内フローラ」とも呼ばれています。人間の腸のなかには、1人あたり数百種類以上、約100兆個もの腸内細菌が生息していると言われており、地球上でもっとも高密度に菌が存在する場所だと考えられています。
HIP:腸内に、菌が住み着いているのですね。
福田:腸内細菌は、私たちが食べた食事成分のうち、消化吸収されずに腸まで運ばれた未消化物を分解し、エネルギーを得ています。その分解の過程で、人間の細胞と同じように、不要なものを排出しています。この腸内細菌が排出する物質(これを代謝物質と呼びます)の一部は腸から吸収され、血中に移行して全身を巡るのです。その結果、バランスの取れた腸内フローラから産生された代謝物質は私たちの健康に良い影響を与える一方で、腸内フローラのバランスが乱れてあまり良くない代謝物質が作られると、疾患の発症や増悪につながることもわかってきました。
HIP:例えばどのように悪影響を及ぼすのでしょう?
福田:大腸がんや大腸炎などの腸の病気、そのほかにも肥満や糖尿病、動脈硬化、さらにはある種の自閉症やパーキンソン病、多発性硬化症といった脳の疾患に至るまで、さまざまな影響を及ぼします。多くは動物実験の結果ですが、一部はヒト試験でも明らかになっています。
HIP:健康維持のためには、腸内フローラを整えることが重要なわけですね。そのためには、どうすればいいのでしょうか。
福田:長期的な食習慣、すなわちどのような食品成分を継続して摂取するかによって、腸内フローラを構成する腸内細菌の種類や割合は変わることがわかっています。たとえ一卵性双生児であっても、こういった食習慣などの生活環境が違えば腸内フローラのパターンが異なることが報告されています。つまり、私たちの遺伝的背景よりも環境要因が腸内フローラには大きく影響するわけですね。この多種多様な腸内細菌で構成されている腸内フローラ全体を、私たちの体内における「もう1つの臓器」として認識することが重要だと考えています。
HIP:もう1つの臓器……ですか?
福田:そうです。腸内フローラはさまざまな種類の腸内細菌が集合した1つの塊であり、この腸内フローラ全体のバランスが体中に影響を与えるわけですから、脳や心臓、肝臓などと同じように、1つの臓器としてとらえることができます。違うのは、他の臓器とは異なり食べ物や環境でコントロールが可能であること。すなわち、この臓器は可変なんです。だから「可変するもう1つの臓器」。
無性に野菜が食べたくなったとき、腸内細菌が脳に「野菜を食べろ」と指示している?
HIP:腸内フローラが整っていれば、体全体にいい影響を与えることもあるのでしょうか。
福田:もちろんです。腸とは一見無関係のような、脳や免疫系の発達にも影響を及ぼしていることもわかってきています。脳と腸は迷走神経でつながっていますし、ホルモンを通じてやりとりもしています。
HIP:腸から脳に、なんらかの信号を送ることもあるということでしょうか?
福田:はい。腸への刺激が脳に作用して、いろいろな臓器に二次的に影響を与えるということもあるでしょう。「腸は第二の脳」という言葉がありますが、私はあえて、「脳は第二の腸」と呼んでいます。脳を持たない動物はいますが、腸を持たない動物はほとんどいない。動物としてまずは栄養素を吸収しなくてはいけないですし、発生学的にも腸が最初に形成されます。やはり、腸はとても大事な臓器なんです。
HIP:「腹落ちする」「腹に据える」「腹黒い」……日本語には腹部にまつわる言葉もたくさんありますね。
福田:昔の人も腸の重要性を直感的にわかっていたのかもしれません。腸は重要な臓器ですが、特にそのなかに住んでいる腸内フローラが、実はとても重要なんではないかと。「腸内フローラが脳腸相関を介して人間を操っていた!」なんて話も、もしかするとありえるかもしれません。
HIP:SFのような話ですね。
福田:そうとも言えませんよ。例えば海外旅行中に肉中心の食生活をしていて、無性に野菜が食べたくなったという経験はありませんか? 食物繊維というのは、腸内細菌の餌になる成分です。脳と腸は迷走神経でつながっていると話しましたが、腸内細菌が脳に「野菜を食べろ」と指示しているのかもしれない。
HIP:「食べたくなるものは、体が欲しているもの」という説を聞くことはあります。
福田:そうですね。一方で、食べるものに合わせて腸内フローラが変化することで、栄養素を吸収できるようになるというケースもあります。テングザルやキンシコウなどの「リーフイーター」と呼ばれる、葉を食べる猿の例を挙げましょう。ほ乳類である猿は元々、雑食ですが、リーフイーターは木の上のほうにいて葉だけを食べている。彼らは葉食に特化した消化管内細菌叢を持っているのです。
そしてここからは私の推測ですが……彼らは生存競争に負けてしまったために、食物が少ない木の上に追いやられてしまったのではないでしょうか。そこで仕方なく、葉から栄養素を吸収するために、その成分を分解できるような細菌が消化管のなかに生息するようになったのではないか、と考えています。
HIP:そういった食べ物に合わせた腸内フローラの変化は、人間でも見られるのですか?
福田:日本人は海藻や海苔をよく食べますよね。実は日本人の約9割の腸内には、海苔を分解する遺伝子を持つ腸内細菌がいるということが報告されています。一方で、海苔や海藻を食べない国の人には、その腸内細菌がほとんどいない。つまり日本人の腸内には海苔や海藻の成分があるので、こういったものを分解して栄養素にできる腸内細菌が勝ち残ったわけです。