「XPRIZE財団」。もしかすると日本ではまだ耳慣れない組織かもしれない。同財団は1995年、イノベーション界のカリスマと評されるピーター・ディアマンデス氏がアメリカで設立した非営利団体。地球規模のイノベーションを生みだすために、参加チームが技術開発を競う「国際賞金レース」の開催で注目を浴びている。現在はGoogleがスポンサーとなり、民間初の月面無人探査を競う賞金レース「Google Lunar XPRIZE」が進行中だ。
この「XPRIZE財団」が次に主催する国際賞金レースが2017年度末にスタートする「ANA AVATAR XPRIZE」だ。レース名からもわかるように、スポンサーは日本を代表するエアライン「ANA」。同レースでは、最先端テクノロジーを用いて、世界中に設置されたアバターロボットに人が遠隔で乗り移り、災害現場での救護や医療活動にあたるような未来の実現を目指している。移動の概念を変え、地球規模の社会問題を解決する可能性を秘めた、大型プロジェクトだ。
そして、この「ANA AVATAR XPRIZE」の実現に大きく携わったのが、ANAホールディングスのデジタルデザインラボに所属する深堀昂氏である。社会起業家を支援する「BLUE WING」など、入社以来斬新なプロジェクトを続々と立ち上げてきた同氏に、大企業内で新規プロジェクトの立ち上げる際のポイント、「ANA AVATAR XPRIZE」から見えてくるANAの未来について忌憚なく話を聞いた。
取材・文 / 笹林司 写真 / 玉村敬太
社会に利益をもたらし、ユーザーに喜ばれるプロジェクトでなければインパクトを与えられません。
HIP編集部(以下、HIP):「ANA AVATAR XPRIZE」のコンセプトが発表されたときは驚きました。アバターロボットを通じて世界へ瞬時に移動できる、まるでSFのようなプロジェクトであることに加えて、その主催者がエアライン企業であるANAさんなのですから。
深堀氏(以下、深堀):私は以前、マーケティング室の宣伝チームで、海外プロモーションを担当していました。そのなかで感じていたのが、純粋な広告・PR戦略の限界です。航空体験の心地よさや、チケットの価格などは各社が切磋琢磨していますし、大きな差別化を図ることは難しい。本当にユニークなことに取り組まないと、人の心を動かすようなブランディングはできないと痛感しました。
そこで私は、ビジネスクラスのサービスをお客さんやスタッフの目線で動画撮影した「YOUR ANA」というプロモーション企画を立ち上げました。これはテレビCMで国際線ビジネスクラスに搭乗してくださるモニターを募集し、その体験をウェアラブルカメラで動画撮影してもらう企画でした。多くの人々にインパクトを与えるためには企画自体がユニークであることに加えて、ユーザーが本当にワクワクしたり感動したりするプロジェクトを行わなければいけないと考えたのです。これらの経験から手応えを得て、より大きなよりインパクトを生み出すべく企画したのが「ANA AVATAR XPRIZE」です。
HIP:しかし「ANA AVATAR XPRIZE」は、実現すれば航空会社のあり方や、人々の「移動」の概念を変えてしまうほどの大規模なプロジェクトです。これをマーケティングという視点から、どのように実現させたのでしょうか?
深堀:XPRIZE財団が主催する賞金レースをスポンサードするためには数十億円の予算が必要となりますが、そんなことを役員が許してくれる見込みはありません。なので、最初は「いつか、Googleみたいに賞金レースのスポンサーとして関わりたい」という思いで、XPRIZE財団とのマーケティングタイアップを展開していました。
そんなとき、XPRIZE財団が、新しいレースのテーマ設計を公募するコンペを発表したんです。「このチャンスは逃すまい」と、エントリーの最後の一枠に滑り込みました。競合チームは高度なテクノロジーで知られるグローバル企業ばかりでしたが、そこで幸運なことにグランプリを獲得することができたんです。
ANAの事業目的は創業当時から変わらず、できるだけ多くの人々を結びつけること
HIP:グランプリ獲得もですが、驚くべきは新しいレースのテーマ内容です。世界中のアバターロボットに遠隔操作で人が乗り移って、その場所を疑似体験するというのは、人やモノを運ぶ航空事業の否定のようにも受け取れます。
深堀:そうした意見は社内外からいただきますが、そんなことはありません。ANAの事業目的は創業当時から変わらず「できるだけ多くの人々を結びつけること」。そもそもANAは2台のヘリコプターで人々をつなぐことから始まったベンチャー企業です。それが飛行機にとって代わるわけですが、極論ツールは何でもいいのです。
それに、データを紐解いてもアバターには大きな可能性があります。現在、エアラインを利用しているのは、世界の全人口70億人のうち約4.2億人。たった6%の人々がくり返し搭乗しているだけなのです。これだけグローバリゼーションが進んでいる世の中ですが、物理的には世界とつながっていない人のほうが圧倒的に多い。その人たちを含めて結びつけることが、ANAがやるべき事業なんです。最初に思いついたのは、アバターではなく、テレポーテーションだったんですけどね。
HIP:テレポーテーションとは、なかなか奇想天外なアイデアです(笑)。
深堀:ですよね。コンペに参加した8チームもこのアイデアを聞いて笑っていました。しかし、たった一人だけ興奮してくれた人間がいたのです。それが、XPRIZE財団の創設者ピーター・ディアマンデス氏でした。とはいえ、ぼくらも最初は「究極はどこでもドアだよな」と冗談交じりに話していたくらい。数年のうちに実現するのは無理だろうということで、超音速電気ジェット機やマイクロロケットなどの代替案も検討していました。
しかし、これらは空港のような巨大施設が必要になりますし、既存の技術をなぞるだけでイノベーティブではないと考え、テレポーテーションについて調べ直しました。量子テレポーテーションの実験に成功した東京大学の古澤明教授のもとへ話を聞きに行ったりもしましたが、物質をテレポーテーションさせるには100年以上かかると言われ、やっと諦めがつきました。そこで「意識のテレポーテーション」というアイデアが生まれたんです。
HIP:意識のテレポーテーションとは、どういうものなのでしょうか?
深堀:「ANA AVATAR XPRIZE」で実現を目指すアバターとは、VR(仮想現実)などの技術とロボットを連携させたものですが、VRとは似て非なるものだと考えているんです。
VRの世界のなかでは、人がどう動こうと現実世界への影響は生まれません。しかし、VRとロボットを連携させたアバターなら、腕を動かした瞬間、現実世界にも影響を与えることができます。例えばパリに設置されたアバターに、私が日本からログインして腕を動かせば、アバターの腕が動くことでパリの空気も動きます。さらにアバターの手を動かし、物をもった時の触覚もセンサーを通じてフィードバックできる。
いまの技術では、味覚と嗅覚を感じ取れる高性能なセンサーは実現していません。しかし、視覚、聴覚、触覚など、五感のうちいくつかの要素をフィードバックするだけで意識の没入感は高まります。離れた場所で起きている事象を、触覚のフィードバックを通じてユーザーが受け取ることで、まるで意識をテレポーテーションさせたかのように感じることができるのです。