制度設計もアイデアの審査も、すべてが手探りから始まった
HIP:社内コンテストのような取り組みも初めてですよね。立ち上げや運営の苦労も多かったのでは?
小早川:大変でしたね。そもそもの制度設計もわからないので、スタートアップのマッチングイベントや新規事業担当者が集まるイベントなどで知り合った他社の方々にヒアリングして、ノウハウを教えていただきました。そうして立ち上げた第1回「TIP」には90件ほどのアイデアが集まりましたが、締切り2週間前の段階では6件しかなく、少々焦りました(笑)。
栢木:私は当時、新人研修中でしたが、その一環として「TIP」に応募しました。「こんな制度があるなんて、東宝はイノベーティブな会社なんだ」と感じたことを覚えています。
小早川:そう思ってもらえたなら、社内風土醸成の第一歩としては成功ですね(笑)。
HIP:アイデアが集まったら、当然、その先には審査が必要です。
小早川:審査は、部署横断の「イノベーションカンファレンス(イノコン)」を新たに立ち上げて行いました。営業部門など複数の部署から、現業に支障をきたさない範囲の兼務として人員が集まっています。メンバーは、私と栢木を含め現在10名です。
イノベーションカンファレンスはアイデアの審査だけでなく、経営層から降りてきたミッション、たとえばインバウンド向けビジネスの研究なども行っています。
栢木:審査はメンバー全員で行いますが、事業化や研究は案件ごとに人員を振り分け、進めています。不定期で全員が集まる会議を開くほか、案件ごとに分科会のような場を設け、進捗に応じた打ち合わせを実施。現在は、「TIP」で選ばれた3つのプロジェクトの事業化をサポートしている状況ですね。
東宝ならではの「プロデュース力」を活かし、地方創生事業に挑戦中
HIP:現在事業化へ向けて動いている案件は、どのようなものですか。
栢木:実際に動き始めている案件のひとつが、第1回「TIP」で採択された地方創生プロジェクトです。
小早川:地方創生に関わるアイデアは複数寄せられました。「それだけ注目されているなら」と事業化を決断したわけです。
これまで映画撮影のロケなどで地方とはおつき合いがあったのですが、「その先」がなかった。ロケ地の方々は当然、映画を通じて地方活性化につなげたい。ファンが作品のロケ地を観光する、いわゆる「聖地巡礼」なども流行っていますからね。
ですが、東宝は「映画を制作したら終わり」で、公開後のオフィシャルな協力体制が取れていなかった。そこで、映画宣伝で培ったノウハウを活かし、町の魅力を全国に伝えるビジネスモデルとして事業化することにしました。
HIP:ロケ地とのコネクションや宣伝のノウハウなど、東宝ならではのリソースを活かせるビジネスモデルですね。
栢木:自治体側でも、ロケ地の紹介と観光促進が別部署に分かれているケースは珍しくありません。せっかくロケをしても観光に活かせていない状況があった。そこで、映画に絡めた自治体のPVやウェブサイトを制作するなどして、「もったいない」を解消したいと考えました。現在は、複数の自治体にご挨拶し、包括的な協定を結ぶために調整をしている状況です。
私は「プロデュース力」こそが、東宝の強みだと感じています。ゼロから何かを生み出すわけではありませんが、さまざまなコネクションを持ち、調整能力に長けている。その強みやノウハウを、映画づくりではなく、「何かと何かをつなげる」ビジネスに活かしていきたいですね。
まずは自分で汗をかく。若手社員の意見も取り入れながら、ルールを改善
HIP:第1回「TIP」は目に見える成果があったわけですね。ということは、第2回も開催されるのでしょうか。
小早川:はい。いままさに第2回の応募期間が終わり、審査を行なっているところです。第1回は意外にも40代の提案者が多かったこともあり、今回は若手が応募しやすいように制度を改善しました。栢木にも制度設計に参加してもらっています。
HIP:どのような改善を行ったのですか?
栢木:「TIP」には社内のイノベーション意識を醸成する目的もあるので、応募形式を自由にして、柔軟な発想が集まりやすいようにしました。第1回は東宝の事業領域、つまり映画や演劇に関わるアイデアという縛りがあったのですが、今回は現業とのシナジーが生まれうるのであれば、事業領域にはこだわらないことにしました。
栢木:また、周りの若手社員に話を聞いたところ、「TIPで採択されても、その後どうなるのかがよくわからない」という声が多かったので、事業化をみずから手がけるかどうかを、提案者自身が判断できるようにしました。
小早川:第1回は提案者自身で事業化を進めることが前提でしたが、いざ着手するとなると、提案者がなかなかリソースを割けず、事業化のスピードが遅くなってしまいました。結果として、栢木が話したように「採択されたあとの流れがよくわからない」という印象を与えてしまったと反省しています。
そこで、今回からは「アイデアの事業化はイノベーション推進室やイノベーションカンファレンスが責任を持ち、一緒に進めるかどうかを提案者に委ねる」という選択肢を明記しました。事業化に携わりたい提案者は、事業計画のためのセミナーなども受講できます。
HIP:事業化のスピードにも弾みがつきそうですね。
小早川:「TIP」はアイデアレベルでも提案を認めています。アイデアが集まりやすい一方、選ばれたアイデアを事業化するとなると、事業計画の策定だけで1年ほどかかってしまいました。そこで今回から、事業計画策定フェーズはコンサルティング会社に参加してもらい、時間短縮と精度向上を目指すことにしました。
ただ、第1回に自分たちだけでやったことは勉強になりましたね。役員からも、「まず自分で汗をかくことが大切だ」と説かれていましたし。
若手が抱いていた危機感も可視化。まずは社内を一歩ずつ変えていく
HIP:部署設立から約3年弱。社内のイノベーティブな意識は醸成されていますか?
栢木:徐々にイノベーション推進室の取り組みも理解され始めていて、若手のなかでは「なにかあれば、あそこを頼ればいい」という雰囲気が生まれてきたと思います。実際、「TIP」とは関係なくアイデアを持ち込んでくる社員もいます。私が配属されたときは、イノベーション推進室の取り組みを知らない人がほとんどでしたから、大きな一歩でしょう。
せっかくならば、もっと多くの社員に私たちの取り組みを知ってもらいたい。そんな思いもあり、配属されてからは、影響力がある営業部門と積極的にコミュニケーションを行って、彼らを巻き込むことを意識していました。
小早川:若手が抱く危機感も、「TIP」の取り組みなどによって可視化されてきました。正直、以前は若手が危機感を持っていても、上の世代には見えていなかったでしょう。
上層部や年次を重ねた社員に関しても、私たちが専門部署として正式に動いていることで、理解され始めたと感じますね。現在事業化に向けて動いている企画は、現業部署の力が不可欠です。以前ならもっと反発があったと思いますが、いまはどこも納得してくれています。
HIP:最後に、さらなる「東宝流イノベーション」を創出するための課題や、今後のビジョンを教えてください。
小早川:室長の私が言うのもなんですが、いまの東宝にとって、この部署は必ずしも必要なものではありません。すぐに新規事業を創出しなけなければ倒産するというわけではないし、人的リソースに余裕もない。経営的な優先順位もそう高くはないはずです。
一方で、みんな漠然とイノベーションが必要なことは理解している。そんななか、いかにイノベーションの重要性を伝えるかが私たちの課題です。それには、結果を出すしかありません。利益を生む新規事業や他社との協業を具体的に提案して、成功させることを、地道にやっていくしかないと思っています。
栢木:東宝のイノベーションにとって、最大の壁は社内の説得だと思っています。それを乗り越えるには、「やりたいこと」やイノベーティブな発想を持つ若手社員たちがスクラムを組んで、下から突き上げる動きが必要なのではないでしょうか。
イノベーション推進室に配属されたとき、小早川から「10年後の社員を助けるような仕事をしよう」と言われました。10年後、私は34歳。まさに、中堅として社内で力を発揮しなくてはならない年齢です。そのときのためにも、いま、社内にイノベーションな風土を醸成する必要あると感じています。