大企業などに所属する人材が、自社を辞めずに自ら個人資産などにより設立したスタートアップに出向して、新規事業開発にフルコミットする「出向起業」。国が補助金制度を設け、2023年3月現在、この選択肢から34社のスタートアップが誕生している。
出向起業の補助事業を経済産業省在籍時の2020年に起案した奥山恵太氏は、「出向起業スピンアウトキャピタル」というVCを2022年9月に立ち上げた。
奥山氏はどのような思いで、出向起業補助事業を立ち上げ、さらにはVCを設立したのだろうか。そして、「起業したい」と考える大企業の人材や、所属企業にとって「出向起業」はどのような可能性を秘めているのだろうか。奥山氏に話をうかがった。
取材・文:サナダユキタカ 写真:坂口愛弥
「起業失敗」が制度考案のきっかけ
HIP編集部(以下、HIP):まず奥山さんが2022年9月に設立された出向起業スピンアウトキャピタルというVCについて教えてください。
奥山恵太氏(以下、奥山):一般的なVCと異なり、出向起業を中心に出資を行なうVCです。通例では、VCから資金を集めようとするなら、会社を辞めて起業をすることが前提です。
一方で、出向起業はその名のとおり、企業から自ら起業した会社に出向して経営する形態であるため、出向元に戻ることのできる起業家では本気度が足りないと受け止められ、一部のVCから投資が受け難い傾向があります。投資のリスク管理としてそれは当然ですが、当ファンドでは社名からもわかるように、応援できる出向起業があれば、積極的にシード投資を行ないます。
出向起業を投資対象の軸と公言しているVCは珍しいと思います。起業前の相談も受けていますし、最近では大企業などの新規事業コンテストの出口としての出向起業の導入検討相談も多く、出向起業を実現させるための社内幹部説明のサポートなども行なっています。
HIP:出向起業の補助事業は、2020年に奥山さんが経産省在籍時に発案したものです。この「出向起業補助事業」をスタートさせた背景についてお聞かせください。
奥山:出向起業という考え方や補助制度を提案した背景には、私自身の失敗体験が深く関わっています。私は2010年に経産省に入省後、2016年からは渡米してMBAを取得すると同時に、現地のスタートアップの経営サポートや投資ファンドでのインターンをしていました。
2018年には経産省に戻り、宇宙産業の振興に従事することに。そのとき、大企業に勤める優秀な衛星エンジニアと出会ったのです。彼は、先進的な衛星部品をつくろうとしており、私もアイデアに強く共感したため、一緒に起業することを考え始めました。
HIP:奥山さん自身が宇宙ビジネスを手がけようとしていたのですか。
奥山:ええ。しかし、その事業案には、所属企業の知財や開発設備が必要なうえ、彼は40代で、扶養家族もいます。「大企業を辞めて一緒に起業しよう」とはなかなか言えなかったので、そのときに会社に籍を残したまま出向して起業するという方法を構想し交渉を進めました。
結果的には所属企業の了解を得られませんでした。「社内で前例がない」「事業の不確実性が高い」といった点が反対理由でした。私の起業は、始まる前に失敗に終わりました。
HIP:つまり、その時点での出向起業が実現にいたらなかったんですね。
奥山:はい。しかし、日本中には、彼以外にも、たくさんの起業ポテンシャルのあるエンジニアや社員がいるのではないか、前例がないならそれをつくるべきではないかと思うに至り、出向起業を制度化して応援したいと考えました。
そして、経産省のなかで異動した後、「出向起業補助事業」を起案し、賛同してくださる方もいらっしゃって予算を確保でき、2020年には補助事業として公表し、募集を開始しました。
すべての大企業社員が出向起業を認められるわけではない理由
HIP:それが、出向起業の補助事業を立ち上げた原点になるのですね。やはり、大企業を辞めて起業するというのはハードルが高いと。
奥山:大企業のなかで新規事業を進めようとすると、たとえば、本業とのシナジーがないと認められない、売上が確実に数百億円見込めないと社内予算をつけない、と経営層からいわれる場合があります。
また先ほどの私がかかわった例のように、所属企業を辞職して既存知財が使えなくなると事業が進まない場合や、家計上の理由から起業家の配偶者に止められてしまうということもあります。
新しいアイデアを大企業のなかで生み出すのも、辞めて起業するのも、どちらにも高いハードルがあるのです。一方で優秀な人材でも、大企業の社内にいては本当にやりたいことにチャレンジできず、悶々と日々を過ごしてしまう。そうした人材が能力を発揮し、新規事業にチャレンジできる世の中をつくるために、出向起業の補助事業を提案したのです。
HIP:制度をスタートさせた反響は?
奥山:初年度(2020年度)は9社の出向起業が実現し、私が経産省を辞める2022年7月までには28社の出向起業が立ち上がりました。
しかし、「自分自身が出向起業してみたい」と事前相談をしてくださった大企業社員の方々は、累計で150人以上いらっしゃったことを考えると、この150社以上のスタートアップの起業実現をサポートしきれなかったという観点では、自分の力不足に悔しさが残ります。
HIP:出向起業が必ずしも実現しないのは、どのような理由があるからでしょうか?
奥山:一番の理由は、出向起業に必要な出向契約の了解を、大企業側から必ずしも事前に得ることができていないという点です。新規事業を検討し、出向起業の立ち上げを行ないたいと自発的に手を挙げる行動力のある人材は、社内の既存事業部でもエース級の社員であることがほとんどです。
そのような人材の所属事業部の業績に大きな穴が空くことは避けたいとの意向があって、交渉に時間がかかり、なかなか出向起業が認められないケースも多いです。
事業が加速した「Prediction」
HIP:では、出向起業の補助事業を活用して、どのようなスタートアップが誕生しているのでしょうか?
奥山:大手企業出身の大木健一朗さんが立ち上げたPredictionは、出向起業の特色を体現した1社といえるでしょう。同社は、複合機にサイネージをつけて無料でオフィスに設置し、そのサイネージに広告を配信することで、複合機設置コストを削減しつつ新たなBtoBマーケティングの経路を創出しています。
奥山:広告産業・OA機器産業の関係事業者を広く巻き込むことができる体制を確保しつつ、意思決定のスピードをさらに高めていきたいと考え、社内事業として進めるかたちではなく出向起業の制度を利用したいと大木さんから相談がありました。
当時社内の説明論理を私からもサポートさせていただいたところ、結果的に承認を得ることができ、2022年5月に出向起業が実現しました。起業を通じて、サイネージ広告面の設置を着々と成功させ、会社設立の初年度で広告料売上高を上げるなど、実績を出しつつあります。
HIP:大木さんの目論見どおり、事業スピードは早まりましたか?
奥山:ええ。大企業社内で進める場合には、経営判断の際には、複数の役員の確認が必要となるかたちが一般的ですが、社員個人で大多数の株を持つスキームの出向起業スタートアップでは、大木さんの裁量で試行錯誤のスピードを早めることができていると感じます。