人間の考え方や意識すらもアップデートしつつあるVR、それでも超えられない壁とは
混同されることが多いAR(augmented reality:拡張現実)やMR(mixed reality:複合現実)との違いについても言及しておきましょう。ARは実在する現実に何らかの情報を付与するもので、MRはVRとARの融合を指します。ARの実用性は非常にわかりやすく、例えば目の前にある机や椅子にデバイスをかざすと型番を表示し、すぐにAmazonで注文するといったことができます。大ブームを巻き起こしている「Pokémon GO」にも、わずかにですがAR技術が採用されています。MRはその延長で、ゲームの例を挙げると、デバイスが壁を認識してそこに穴が空き、敵が現れて戦いが始まる、といったことが可能になります。
VRの場合、現実は基本的にシャットダウンされてしまうので、実用性という点では何もかもに応用できるわけではありません。一つ考えられることとして、コミュニケーションへの応用が挙げられます。例えば遠隔の人とコミュニケーションをしたいとき、いまはビデオチャットを使って画面越しで会話をしていますが、ヘッドセットと360度カメラを使うことで、相手と同じ空間にいるかのような感覚でコミュニケーションすることが1〜2年後には可能になると言われています。あるいは、お互いがアバターになるだけで充分かもしれません。自分の頭や手の動きに応じてアバターの動作を正確に同期すれば、まったく無表情のアバターだとしても、人はそこに人間らしさを感じ取ることができるのです。
それでは、VRの最終形としてはどこに向かうのでしょうか? 映画『マトリックス』(1999年)のような世界観が現実になるかは定かではありませんが、あらゆるものがテクノロジーを通じて、よりリアルに体験可能になっていくのは間違いないでしょう。
すでにVRはこれまでの人類の体験を刷新し始めています。昨年、地上411mのビルの間を命綱なしで綱渡りする『ザ・ウォーク』という映画が公開されました。その綱渡りをPlayStation®VRでVR体験するデモをソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントが制作しましたが、映画やテレビの中のスタントマンがやるものを体験できるというのはいままででは考えられなかったことです。例えば、南極やエベレストの頂上へ行くという現実では実行が難しいことも、脳をVRで騙すことができれば体験が可能となります。だとすれば、人間の考え方や意識もアップデートされる可能性があるということです。
やや話が脱線してしまいますが、私は以前ネットゲームに長く興じるいわゆる「ネトゲ廃人」でした。ゲームに冷めてしまった最大のきっかけは、「あくまでもキャラクターは、現実の身体を持つ自分が操作している」事実に気づいたことです。キャラクターを動かすために、現実の自分は食事と睡眠を摂る必要があります。アニメ『攻殻機動隊』(1995年)で描かれるように、ネット上に人格が存在するようになれば話は別ですが、あくまでも自分は現実の側にいるということは変わりません。この点を突破しない限り、完全にVRの向こう側の世界に行くことは不可能です。これは、新たな体験を与えてくれるVRの超えられない壁とも言えるかもしれません。
4つの要素から成り立つVRの業界構図
前編の最後に、VR業界の主要なプレイヤーを紹介しながら、全体的な構図を描写していきたいと思います。VR業界を大きくわけると、デバイスを提供するハードウェア、コンテンツを提供するソフトウェア、ハードウェアとソフトウェアの間で機能するミドルウェア、配信を支えるプラットフォームの4つにわけられます。まずは、ハードウェアから見ていきましょう。
ハードウェアの主要企業では、現在Facebookの子会社である「Oculus」が筆頭に挙げられます。2014年に20億ドルで買収されましたが、VR関連で動いた金額ではいまのところ最大でしょう。ハードウェアで「Oculus」に対抗するのが同じくPC向けの「HTC Vive」です。台湾の製造メーカーであるHTCと世界最大級のオンラインゲーム配信プラットフォーム「Steam」を運営するValveが手を組んで開発しています。そして、もう一つがソニー・インタラクティブエンターテイメントから10月に発売予定の「PlayStation®VR」。これらの三つは、現実を忘れてVR体験が楽しめる、高いクオリティのハイエンドなデバイスとなっています。
ハイエンドに比べクオリティが幾分落ちるのがミドルレンジとローエンドのデバイスです。前者はOculusとサムスンが共同開発を行う「Gear VR」のようにスマートフォンデバイスを装着して使用するもの、後者は「ハコスコ」や「Google Cardboard」のような段ボール製のゴーグルにスマートフォンを入れるタイプのものが知られています。Googleはあえてローエンドから始め、今年の秋からはミドルレンジもカバーしていくとみられています。これが大まかなハードウェアの流れです。
続いてVRのコンテンツを担うソフトウェアですが、ひとまず3DCGと実写を区別してみましょう。ゲームとゲーム以外で考えてみても良いかもしれませんが、そもそもなぜ「VR=ゲーム」というイメージになりがちなのでしょうか? それは、先ほどハードウェアで挙げたOculus、Valveやソニーなど、ゲーム業界の主導でVRのハードウェア作りが始まったからです。しかし、アメリカを中心とした投資家たちの期待が厚いのは、実はゲーム以外の部分です。アメリカではシリコンバレーを中心にVR関連のスタートアップが勃興していますが、コンテンツの撮影・編集・配信までを一気通貫して行う会社が資金調達に成功している事例が目立ってきています。
一方で日本では、スタートアップではなく360度撮影やパノラマ撮影をもともと請け負っていた会社がその技術の延長線上でVRコンテンツを制作し始めた事例が多く、こうした日米で異なるVR環境の背景には、コンテンツ制作のために資金調達を行うかどうかなど、スタンスの違いがあるかもしれません。
後編では、コンテンツの「体験」を支えるミドルウェアやプラットフォームについても踏み込んでいきます。VRが革新を起こしつつある医療・教育・産業の各分野について事例を交えつつ紹介しながら、VRが普及した先にある未来についても考えを述べたいと思います。