パナソニックが生き残っていくために。関係部門と決めた「品質のライン」とは
HIP:なぜソフトウェアの技術者は、立場的に窮屈だったのでしょうか?
宮崎:パナソニックは、伝統的にモノ売りが強み。社内的にも、ハードウェアの開発や製造担当者のほうが発言権はありました。私はソフトウェアの技術者。入社は1995年ですが、そのころのソフトウェアはいわゆる「おまけ」的な存在として、社内で認識されていました。
しかし、いずれはモノ売りではなく、コト売り、ソフトウエア重視のサービスが主流になるはずと信じていた。そして、これまで培ってきたハードウェアの技術力を活かしたうえで、ソフトウェア軸のサービスを展開すれば、パナソニックは生き残っていけるという自信があったんです。時代が変わるという確信と反骨精神が、モチベーションになっていました。
HIP:社内プロジェクトとして正式に始動したのは、いつ頃でしょうか?
宮崎:2009年くらいですね。2017年にようやくローンチしたことを考えると長い道のりでした。
HIP:サービス実現に向けて、具体的にはどんなことをやっていったのでしょうか。
宮崎:さまざまな部門に協力してもらわなければいけなかったので、まずは従来の商売思考を変えてもらう必要がありました。
特に大変だったのは、「品質の担保」に対する認識のすり合わせです。Vieureka PFのようなソフトウェアをベースとしたビジネスは、最低限の品質を担保して提供したのち、必要な部分をソフトウェアアップデートで対応するのが一般的。
しかし、モノ売りの歴史があるパナソニックは、最初から高い基準をクリアしないと商品やサービスとして世に出すことはできないという考え方なんです。ですので、関係する部門と膝をつき合わせて「コト売り思考」を説明しながら、お互いに納得できる品質のラインを決めていく必要がありました。そこは時間をかけましたね。
自分たちは圧倒的に遅れていた。Amazonのやり方を見て気づいたこと
HIP:いまのパナソニックは、モノ売りからコト売りの会社になろうとしていて、さらにはBtoCだけでなくBtoBの会社へと変貌しつつあります。その要因はなんでしょうか?
宮崎:やはり、2012年に津賀一宏(現代表取締役社長)が社長に就任したのは大きかったです。当時、津賀は「このままでは次の100年どころか、100周年までもたない」といった表現で社員に危機感を伝えていました。
そのうえで、「会社として、モノ売りからコト売りへ舵を切る」と発信してくれたのは、心強く感じました。あのころから徐々に、新たなチャレンジをしやすい風土へと変化した気がします。
HIP:トップの交代がVieureka PFの実現にとって、追い風になったんですね。
宮崎:とはいえ、すぐにことが動き出すと楽観はしていませんでした。これはすべての大企業に共通すると思いますが、やはり中身が変わるには時間がかかる。実際、そこからVieureka PFのローンチまでには時間がかかりましたし。
まったく成果が出なかった4年ほど前には、現専務執行役員の宮部義幸から「なんで大企業とベンチャーの良いとこ取りができないんだ」と言われたのも覚えています。ベンチャーのような早さとリスクテイクを実現しながら、大企業の資金力とブランド力を活かして一気に成長させる事業が理想。
ながら、それを実現できているかというと、いまでも「はい」とは言い切れません。ただ、プロジェクトが始動して間もない頃に比べると、徐々にスピードアップできていると思います。
HIP:そのきっかけは?
宮崎:2017年4月にビジネスイノベーション本部が設置されて、独SAP AGのバイスプレジデントだった馬場渉が同本部の副本部長(現:本部長)になったのは後押しになりましたね。SAPは世界有数のソフトウェア企業で、「コト売り」の代表格。その環境を知る馬場が加わったことで、「コト売り」ビジネスへの理解も深まり、イノベーティブな雰囲気が生まれてスピードアップにもつながりました。
水上:あと、Amazonとのおつき合いも大きかったですね。Vieureka PFでは、データの保管やプラットフォームを管理するクラウドにAWS(Amazon Web Services)を採用しています。その縁もあって、セミナーやイベントに参加させてもらったり、一緒に仕事をしたりする機会が増えました。
Amazonはベンチャーから始まって大成功した企業。全員が積極的にイノベーションのプロセスに貢献する意識を持っています。その秘訣のひとつとして、「ピザ2枚の法則」という考え方があります。これは、何かプロジェクトを動かす際、ピザ2枚を分けあって食べられるくらいのチーム構成にするというもの。
人数は増やせばいいというものではなく、抑えることでスピードと効率をあげられる。それを愚直に実践されています。彼らの仕事の進め方やスピード感を見て、自分たちが圧倒的に遅れていると気づかされました。ほかにも複数の企業と協業していますが、どの企業も先進的で良い刺激になります。
パナソニックはいまがターニングポイント。横の壁を壊して新規事業の種を広げたい
HIP:水上さんはVieureka PFに携わったことで、ご自身の成長や変化にもつながりましか?
水上:いろいろな壁を壊せるようになった気がします。壁を壊すために、人を巻き込むことも少しはうまくなりましたね。いままでのパナソニックでは、新たなチャレンジをしようとすると、うまくいかなかった前例と照らし合わせて慎重になり、NGが出ることも多かった。もしかすると、いつのまにか自分のなかにもしがらみをつくって、チャレンジさえできなくなっていたのもしれません。
しかし、新規事業であるVieureka PFについては、「壊していいよ」と会社側が言ってくれます。壁を壊すためには、その方法を勉強する必要がある。幸い、パナソニックには従業員がたくさんいるので、社内のイノベーターを探して情報を得るようにしています。場合によっては、仲間に引き入れる。そうやって、人の力を借りながら、成功のために進むようになりました。
宮崎:私も、Vieureka PFが正式にサービスとしてローンチする前は、イノベーター(革新者)らしき人たちに声をかけて巻き込みながらやっていましたね。
イノベーションの普及に関する考え方で「イノベーター理論」というものがあります。その理論によれば、市場にはイノベーターとアーリーアダプター(初期採用者)がおり、その2つを合わせた16%の人材を巻き込こめるかどうかがイノベーションのカギになるそうです。だから、いかにして社内でその16%の人材を見つけ、協力してもらえるかが大事。
反対者を説得するのには手間も時間もかかるので、そこにはあまり過度に固執せず、波長が合うイノベーターを狙い撃ちしていました。
HIP:宮崎さんは、構想段階から10年以上Vieureka PFに取り組んでいます。どういった成長や変化がありましたか。
宮崎:より使命感が強くなりました。メンバーにもよく言っているのですが、パナソニックのように100年以上続く会社には、必ず大きなフェーズチェンジがあります。いまはまさに、そのターニングポイント。本当は、Vieureka PFのような新規事業の種が社内に少なくても100はほしいところです。
そういう意味では、Vieureka PFを成功させるだけでなく、Vieureka PFを起ち上げたプロセスを横展開していかなくてはいけません。社内で種を生み出し、スピーディーに事業化することを、企業文化として根づかせたいですね。