最初は社内で「そんなもの作ってどうするんだ?」と言われることもありました
HIP:当時は何名くらいで都市模型を作成されていたんですか?
矢部:社員は自分だけで、アルバイトを20名くらい雇って作りました。ここで工事現場で監督をしていた経験が活きましたね。下請け、孫請けで発注しながら、いかに品質を管理するか、スタッフのモチベーションを保つかというノウハウがあったので。
HIP:スタッフのマネジメントではどのようなことに気をつけていましたか?
矢部:会社で作業を行うチームにはフレンドリーに接することでモチベーションを維持するようにして、一方で下請けとしてお願いするところにはマニュアルを作り品質を統一するようにしていました。コアのエンジニアリングは自分たちで行って、それ以外は外注して管理する体制にしていたんです。このとき作ったマニュアルと、模型の作成過程で蓄積された都市情報のデータベースが、最大の資産ですね。
HIP:本物の建造物を作るのと同じような体制で進められたんですね。初めて都市模型ができたときの反応はいかがでした?
矢部:「カメラを通して見るとリアル!」と良い評価をもらうことができて、ホッとしましたね。ただ、ほめてもらった後に、「じゃあもっと大きく作ろう」と言われ、作る模型はどんどん大きくなっていきました。「東京とニューヨークとの違いも見たい」と言われて、ニューヨークの模型も作ることになって。
HIP:社内での評価はどうだったんですか?
矢部:最初は社内で「そんなもの作ってどうするんだ?」と言われることもあって。喜んで作っているのは、自分と森社長だけなんじゃないか、と考えてしまってましたね。本格的に社内で認められるようになったのは、リーマン・ショックのときです。
HIP:2008年の頃ですね。
矢部:リーマン・ショック以降、不況を受けてオフィスの営業を強化しなければいけなくなったときに、この模型が大いに役立って。その頃、お客さんから「森ビルさん、あの模型はどこに?」と言われることも多かったんです。そこで、それまでは置く場所がないからと倉庫に入れていた都市模型を、オフィスの空きスペースを活用して展示することにしました。この都市模型は移動が可能で、2日もあれば撤収できるんです。すると、営業が「模型を見に来ませんか?」と自分たちのオフィスにお客さんを呼ぶようになり、2回目のアポにつながりやすくなりました。オフィスの営業はアウェイでやるのとホームで勝負するのではだいぶ違うんですよ。その後も営業ツールとして活用されるようになり、社内で市民権を得たんです。
メディア企画部はコーポレート部門なのに、一時期は3億円以上の受託業務をやりましたね
HIP:都市模型は海外でも出展されているそうですね。
矢部:「東京の都市に関する展覧会をやりたいから貸してほしい」と言われることが多く、そういう用途として使われることは多かったのですが、会社の業績が下がったときに「この模型で稼いでこい」と言われたんです。正直、売れるわけないだろうと思いつつ営業に行ったら、これが案外売れた。名古屋や岐阜、福井などあちこちの都市の模型を作りました。それから抱き合わせで都市空間のCG映像も作るようになって。
HIP:CGと都市模型はどのような関係性が?
矢部:模型を作るためにデータベースにしていた素材が、CGに使えることに気づいたんですよ。都市模型は鳥の目線、一方でCGは人の目線で都市を見るのに役立ちます。それぞれ別々の業者に発注せずに私たちに発注すると、テイストが同じになってプレゼンテーションなどに使いやすくなったんです。
HIP:CGを作るようになって何か変化はありましたか?
矢部:押井守さん(代表作に『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』など)や庵野秀明さん(代表作に『新世紀エヴァンゲリオン』など)など、アニメ業界の方々がCGを見にオフィスに来てくださるようになりました。新たな人脈ができてきたところ、経済産業省の「クール・ジャパン戦略推進事業」の公募があって、それに応募してみようということになって。最初は経済産業省の方も「なんでディベロッパー会社の森ビルが来るんだ」と疑問に思っている様子でしたね。
HIP:たしかに疑問に思われるかもしれないですね。
矢部:森ビルは都市開発を行うときに必ず「文化」を考えてやってきた会社です。クール・ジャパン事業の話を森社長にしたところ、「クール・ジャパンはこれから日本の文化になる。だから研究してこい」と言ってもらって。それから上海で日本のマンガやアニメなどのコンテンツの魅力を発信する展示会を実施したりしていました。
HIP:都市模型だけでなく、文化にまつわる事業に取り組まれていったんですね。
矢部:アニメ業界の方々とのつながりができたことが大きかったですね。2010年から5年間、文化庁「メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業」の事務局長も務め、イベントのプロデュースなどもしていました。メディア企画部はコーポレート部門なのに、一時期は3億円以上の受託業務をやったりしていましたね。
HIP:さぞお忙しいと思いますが、都市模型作りはどうされているのでしょうか?
矢部:制作は完全に他の方に任せて、プロデュース業務を行っていますね。最近はGoogleさんとのご縁もあり、「Google Earth」とメディア企画部のCG技術を組み合わせた取り組みを行ったりもしています。こうやってどんどんつながっていくのは、わらしべ長者みたいですよね(笑)。
会社の中で生き残るには、ただ面白いものを作っているだけではダメですから
HIP:今、メディア企画部は社内でどのような役割を担っているのでしょうか。
矢部:僕らの部署は、社内で苦労している人を助けるチームです。営業マンや商業施設を担当している人のためのツールを作ったりして、いわゆる縁の下の力持ちのような仕事をしています。緊急で対応したりもするので、「ER」なんて呼ばれることもありますね。
HIP:都市模型という価値を持ちながらも、そのような役割も担っているんですね。
矢部:会社の中で生き残るには、ただ面白いものを作っているだけではダメですから。「役に立っている」と言ってもらいつつ、新しいことにもチャレンジして、ブランドとしてできあがっている都市模型の情報発信もしていくことが必要なんです。
HIP:チームのメンバーも今のような社内での役割に誇りを持っているんでしょうか。
矢部:部下に対しても、自分の上司のやり方に倣って「自由にやる」ということを大事にしています。大企業の中で、イノベーションやインキュベーションと呼ばれるような仕事をするためには、上司が重要です。うるさい上司の下では人材は育たない。インテリジェンスとユーモアのある上司のもとで働くことが、イノベーションにつながると思います。
HIP:矢部さん自身、大事にしていることはどんなことですか?
矢部:好奇心ですね。好奇心は、模型を見る目にもつながっていますし、模型以外にも通じる話です。色々なことを知ることは、今行き詰まっていることを打開するヒントを探すことにもなります。
HIP:最近では、どんなことに好奇心を持って取り組まれているんですか?
矢部:もともとは、地方の自然が豊かな場所で仲間たちと遊ぶのが趣味だったのですが、段々と仕事の話も来るようになりました。中心市街地の活性化についてコンサルティングしたり、技術を持つ会社を歩いて訪問しているんです。彼らの技術を大企業とつなげるようなことができたらと思っています。好奇心を持って取り組んでいると、遊びと仕事の境界がなくなりますね。
HIP:企業と技術をつなげるというと、先に話していた「わらしべ長者」の話にもつながってきますね。
矢部:つなげるという意味では、都市模型のデータベースもどこかの時点でオープンソースにして、みんなに作ってもらえるツールにしたいと思っています。そうすることで、日本の都市計画のブレゼン能力を底上げしていければいいですよね。これらのツールを作らせてくれた、森社長も喜んでくれると思っています。