日本発信の医療イノベーションで、世界を変える。「mediPhone」澤田真弓が信じるビジョンとは?
澤田 真弓(一般社団法人ジェイ・アイ・ジー・エイチ(JIGH)理事)
2015.09.29

少子高齢化が進み、国民医療費が増大している日本。医療は大きな変化が求められ、解決するべき課題の多い領域だ。そんな医療領域で国際規模のアプローチを行う「一般社団法人ジェイ・アイ・ジー・エイチ(JIGH)」という医療シンクタンクが存在する。彼らの取り組みの一つが、日本に急増する外国人が医療の現場でぶつかる言語の壁を取り除くグローバル医療サポートサービス、「mediPhone(メディフォン)」だ。

今回は、「mediPhone」を率いるJIGHの理事・澤田 真弓氏に話を伺った。医療領域のバックグラウンドを持たず、マーケティング代理店やグーグル株式会社といった経歴から業界に飛び込んだ彼女。なぜ、医療領域にイノベーションをもたらそうと決意したのだろうか?

取材・文:HIP編集部 撮影:相良博昭

「mediPhoneを生み出すまでに100個以上の事業アイデアがダメになった」

HIP編集部(以下、HIP):「mediPhone」とは、どのようなサービスなのでしょうか?

澤田 真弓(以下、澤田):外国人の方が病院にかかるとき、コミュニケーションで苦労しますよね。病気のことですから、患者さんも医療従事者もお互いの話をきちんと伝えて、理解しあう必要があります。それを解決するのが「mediPhone」です。医療のバックグラウンドを持つ医療通訳者チームを束ね、電話医療通訳サービスや医療通訳派遣サービスなどを提供し、医療機関と外国人患者さんがお互い快適に医療を行い、受けられる環境作りを行っています。

HIP:なぜ「mediPhone」を立ち上げることになったんですか?

澤田:JIGH代表の渋谷健司との出会いがきっかけです。海外を中心にグローバルヘルスの領域で活動をしていた彼が、日本でもその活動を定着させるべく動き始めていた頃でした。10年来お世話になっている方の紹介で渋谷に会い、彼がビル&メリンダ・ゲイツ財団(マイクロソフト会長のビル・ゲイツらによって創設された世界最大の慈善団体)と共に行っていたポリオ根絶活動をボランティアで手伝っていたんですが、ある日、「JIGHという組織の基盤を作り、拡大しないか」と相談をもらいました。

HIP:最初から医療関連の事業をやろうと考えていたわけではなかったんですね。

澤田:そうですね。渋谷との出会いから、医療事業に携わることになりました。そこから必死で何の事業をするか考え、最初に始めたのは医療領域の調査事業でした。

HIP:それはうまくいったんですか?

澤田:全国の地方自治体に営業に行き売上が立ち始めていたし、このまま続ければちょっとずつ広げられると考えていました。ただ、「イノベーティブなシンクタンクとして、世の中に新たな提言はできるか?」と自問した際に、できないと思いました。それが、労働集約型だった調査事業をやめたきっかけですね。

HIP:なるほど。それで調査事業ではなく、別の事業を考え始めたんですね。

澤田:集まっていたメンバーがとても優秀な人たちだったという理由もあります。この人たちが好きなことに時間を使えるようにしなくてはいけない、そのために労働集約型ではないビジネスモデルを作ることを決断しました。

HIP:とはいえ、「ビジネスモデルを作る」って簡単ではないですよね?

澤田:初めの2ヶ月ほどは関係者へのヒアリングとブレストを繰り返しましたね。医療業界からスタートアップまで、幅広い人たちから話を聞きました。mediPhoneが生まれるまでに、100個以上のアイデアがダメになりました(笑)。

HIP:100個以上も! 数多く生まれた事業アイデアのうちの一つがmediPhoneだったんですね。

澤田:そうです。現在mediPhoneの監修医師を務めていただいている久住英二先生にご相談したときに、ヒンディー語を話す患者さんを診察する際、大変困っているとの課題をうかがいました。mediPhoneのような「電話一本で医療通訳者に繋がる仕組みがあれば、明日にでも使いたい」と言っていただいたので、その場でこの事業を立ち上げることに決めました。その後、仲間と一緒に医療通訳者を必死で探し、2か月ほどでベータ版としてサービスを立ち上げました。

生きるのにすら苦労した、言語の通じない北京での起業経験

HIP:計4か月……。そんなに短い期間で立ち上げたんですね。医療という領域で、新しい事業を立ち上げていくというのは大変だったのでは?

澤田:当時はとにかくやるのみ、という感じだったので、悩むことはありませんでしたね。それに、今の事業を立ち上げる10年ほど前、北京で起業したことがあり、その頃がほんとに大変で……。その経験がいつも自分の頭と心の底にはりついているので、mediPhoneの事業を立ち上げる過程で起きたことは大変だとは思いませんでした。

HIP:どうして北京に行かれたんですか?

澤田:大学を卒業した直後、とにかく厳しい環境で起業したいと思っていました。それで、成長の真っ只中にあった変革の都市に身を投じることにしたんです。

HIP:大学を卒業したばかりで! すごい行動力ですね。

澤田:当時はSNSのような人と繋がることができるプラットフォームも浸透していなかったので、なんとか知り合いの伝手を辿って、日本人の起業家に話を聞きに会いに行きましたが、全員に「北京で起業はやめておいたほうがいい」と言われたことを覚えています。その後、自分と同じように中国で起業したいと考えていたマレーシア出身の華僑の友人と一緒に、当時まだ北京にはなかったネイルのビジネスを立ち上げることになりました。

HIP:北京で立ち上げたビジネスは順調でした?

澤田:いえ、これがもうすごく大変でしたね。中国は言語ができないと生活するにも辛い場所。バスに乗ったり野菜を一つ買ったりするような日々の何気ないことにもいちいち交渉が求められますし(笑)、生きるのにすら苦労していました。五道口という大学生が多いエリアで店舗を開きたいと思ってからは、気に入った場所に一軒ずつ「場所を貸してもらえませんか?」と飛び込みで訊いていましたが、中国語もまだ上手くない時期だったので、門前払いも多かったです。

HIP:最終的に、どのようにして場所を決めたのですか?

澤田:途中でビジネスパートナーが抜けて最終的な立ち上げ時は一人になってしまい、ラーメン屋を経営していた知人親子の取り計らいでなんとか場所を貸りることができました。親友が日本から助けにきてくれたり、住んでいた場所の大家さんが工場に車で連れて行ってくれたり、色んな人に助けられましたね。立ち上げてからも大変で、雇用していたスタッフ2名に逃げられました(笑)。そのような毎日洗濯機の中にいるような経験をしていたので、mediPhoneの事業を立ち上げるときの経験は苦労だとは思いませんでしたね。これから大変になる覚悟はしていますが。

HIP:忘れられない経験ですね。北京ではその後どうされたんですか?

澤田:結局、1年半ほどで会社をたたむことになりました。その後、ロンドンで経営学を学んだ後日本に帰国し、mediPhoneを立ち上げるまで約10年間、起業する領域を探していました。その間は、ベンチャー企業やグーグル株式会社で会社員をしていました。

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