企業が海外のビジネスシーンに参入する際、商慣習、言語、人材獲得、オフィス開設などさまざまな参入の障壁にぶつかる。そうした問題をクリアするために必要なのが、各国のビジネスカルチャーに理解を持ち、橋渡しを行う「カントリーマネージャー」だ。
アメリカのシリコンバレー発のMake Schoolは世界12の都市で、年齢や国籍に限らず、幅広い人々を対象にプログラミングプロダクトスクールを運営する企業だ。MITなどで学んだトップエンジニアたちが中心となってつくり上げたカリキュラムは、マサチューセッツ工科大学(MIT)やカーネギーメロン大学など、トップレベルの大学に採用されている。
今回は2017年1月より同社のカントリーマネージャーに就任し、日本でMake Schoolの運営を担当している野村美紀氏に話をうかがった。彼女は日本でサービスを展開するにあたり発生する問題をどのように乗り越え、サービスを成長させていくのだろうか?
取材・文:山本ぽてと 写真:岩本良介
アメリカのエンジニアやアーティストは政治の話もするし、社会活動にも参加する。彼らを見て、やりたいことをやろうと決めたんです。
HIP編集部(以下、HIP):Make Schoolのカントリーマネージャーとして、プログラミングプロダクトスクールの普及に取り組んでいる野村さんですが、プログラミングにはもともと興味をお持ちだったのでしょうか?
野村美紀氏(以下、野村):6歳のときにYahoo! JAPANを見たのが、興味を持ったきっかけですね。父親が私に「美紀、これはすごいぞ。世界が本当に小さくなる」と言ったのを覚えています。そこからウェブブラウジングを始めて、目がすごく悪くなりました(笑)。ですが、私が見ているページの裏にHTMLファイルがあることを知って、自分でコードを書いてみたり、カラーコードを暗号だと思って覚えたりしていました。
HIP:幼少期に触れてから、ずっとプログラミングをやっていたんですか?
野村:学生時代は紆余曲折ありましたね。中学高校と名古屋にある進学校に通っていました。素晴らしい思想で、質の高い教育を受けることはできましたが、名古屋という土地柄もあり、テクノロジーや多様性からかけ離れた世界で「1番の大学」に進学することが正しいと思い込んでしまいやすい社会でした。そんな環境で育ったので、一旦はプログラミングから離れていました。
それから私も周りと同じように東大に入ったものの、他人の価値観に引っ張られて進路を決めてしまったため、自分らしく生きれていない気がして辛かった。
HIP:本当にやりたいことをやっていないジレンマがあったんですね。
野村:はい。そんななか、大学在学中にアメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学したのですが、そこで出会った人々に刺激を受けました。アーティストやミュージシャン、エンジニアが同じ場所にいて、自分の仕事について楽しそうに話している。彼らは自分のやっていることを心から誇っていたんです。
彼らは政治の話もするし、社会に問題があったらすぐにプロジェクトを立ち上げる。その様子を見るうちに、いままでなんでも「一番」にこだわって、負けないように頑張ってきた自分を手放して、やりたいことをやろうと思うようになったんです。
バークレーでプログラミングの授業を受けて、再びプログラミングに夢中になり、帰国後はアプリやソフトウェアの制作会社に就職しました。
コードを見せれば、つたない英語でも「すごい」と認めてもらえて、言語の壁を越えられる。
HIP:バークレー留学がターニングポイントになったのですね。Make Schoolとはどのように出会ったのでしょうか?
野村:プログラマーとして働いていたある日、知人から「君が興味ありそうな会社をやっている人がいる」と連絡をもらいました。なんだろう? と思って呼ばれたカフェに向かったのですが、そこにいたのがMake School代表のジェレミー・ロスマン氏だったんです。そのとき、「日本での展開を考えている」と話してくれました。
HIP:Make Schoolというサービスは知っていたのですか?
野村:そのときは知りませんでしたね。でも、サービスの理念を聞いてすぐに私のやりたいことがここにあると思いました。
Make Schoolは世界中にコミュニティーがあり、生徒や講師が交流をしています。そんなスクールに私も通いたかったし、自分でものをつくる経験をより多くの人にもしてほしいと思ったんです。ソフトウェアはパソコン1台さえあれば誰でもつくれる。最小限の投資で世界とつながれるすばらしい取り組みです。
これは自分がプログラマーを経験して感じたことですが、ものをつくれると、作品を通じて世界中の人々とコミュニケーションがとれるんですよ。プロダクトを見せれば、つたない英語でも「すごい」と認めてもらえて、言語の壁を越えられる。世界中の人に自分の作品を見てもらえる。私自身、そういった経験をして自信がついていきました。
HIP:サービスの思想に共感したんですね。どのようにジョインすることになったのでしょうか?
野村:ジェレミーは私と会った次の日に帰国する予定だったので、すぐに約束を取りつけ、Make Schoolで働きたいという思いを伝えました。そして2017年1月、カントリーマネージャーとして正式にジョインすることが決まりました。
HIP:どこが評価されて日本のカントリーマネージャーに採用されたと思いますか。
野村:じつは採用される前に、ジェレミーはMake Schoolの宣伝のために再来日し、その場にいた私も急遽「サポーター」という立場でスピーチをしたんです。その際にジェレミーは「日本で自分の代わりを務めることができるのか」を見ていたようですね。
自信を持ってサービスのことを語り、その場の人々を魅了することができるのか。内容よりも、観客の反応を観察していたのだと思います。日本語で話したので、彼にはわからなかったはずなのに不思議ですよね。いまでは「美紀は、まるでぼくを日本人にしたみたいだ」とまで言ってくれます。