INTERVIEW
「答え」を探すよりも「問い」を探すほうがいい。まちの保育園・松本理寿輝が目指す幼児教育の未来
松本 理寿輝(ナチュラルスマイルジャパン株式会社 代表取締役)

INFORMATION

2015.10.16

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自分が小さな子どもだった頃のことを覚えている人はどれくらいいるだろうか。あまり覚えていなかったとしても、乳幼児期はその後の人格形成が決定される大切な時期だ。この乳幼児期の環境づくりに取り組んでいる人物がいる。

大手広告代理店勤務、ベンチャー企業の経営というキャリアを経て、「まちの保育園」という地域との結びつきを重んじたユニークな保育園を経営しているのが、ナチュラルスマイルジャパン株式会社 代表取締役の松本理寿輝氏だ。理想の幼児教育環境への挑戦に向けどのような軌跡を辿ってきたのか。そして、理念と経営のバランスをどのようにして追求しているのか。話を伺った。

取材・文:HIP編集部 撮影:豊島望

子どもたちと一緒にいたい。学生時代に見つけた幼児教育への道

HIP編集部(以下、HIP):「幼児教育」の領域にはいつ頃から関心を持たれていたんですか?

松本 理寿輝(以下、松本):関心を持ち始めたのは大学生の頃ですね。大学では経営やブランドマネジメントを専攻していましたが、授業の中でボランティア活動をしたことがあったんです。その行き先が児童養護施設で。

HIP:ボランティアではどのようなことを経験されたんですか?

松本:施設には辛い経験をしてきた子どもがたくさんいましたが、みんな目がキラキラしてたんです。瞬間瞬間を楽しんで生きている彼らを見て、子どもってたくましいんだなって。ちょうど人生に向き合わなくてはいけない時期だったこともあり、勇気をもらいました。それで、「助けたい」というよりも、「子どもたちと一緒にいたい」と強く思うようになったんです。

HIP:偶然行くことになった児童養護施設での経験が、「子どもの環境」に関心を持たれたきっかけだったんですね。

松本:はい。それから、子どもたちの理想的な環境を考えていく上で、日本における子どもの環境がどうなっているのか調査を始めました。幼稚園は文部科学省の管轄ですが、保育園は厚生労働省の管轄で、省庁の壁があることを始め、さまざまなことを知りました。一般的には、幼稚園を出た子どもはお行儀がよくて、保育園を出た子どもは社会性があると言われているそうで、そのように生育環境が子どもの特質に違いを与えていることも調査でわかったことでした。

HIP:そんな違いがあるんですね。

松本:0〜6歳は人格形成期と言われていて、人の将来に影響する大切な時期なんです。そのために、幼児教育のグランドデザインをしていくべきだ、とは考えたのですが、具体的にどうしていけばいいかというイメージはまだついていませんでした。

大企業を退職してベンチャーを起業。経営と理念のバランスを学ぶ

HIP:保育の業界全体を変えていくためにはいろいろなアプローチがありそうです。政治家だったり、官僚だったり、学者だったり。

松本:そうですね。ただ、私は現場で汗をかくことが好きだったので、政治家や学者向きではないなと感じていました。日本社会は基本的に事例主義なので、事例があれば改善していきやすい。「自分が理想とする保育園を作って、そこを経営しよう」と考えるようになりました。どうやれば実現できるかはまだ見えていなかったんですけどね。

HIP:その後、保育園の実現に向けて動き出したのでしょうか?

松本:いえ、家計が大変だったこともあって、まずは就職することにしたんです。教育の本質はコミュニケーションだ、と考えていたので広告代理店の博報堂に就職しました。

HIP:博報堂ではどういったことをされていたんですか?

松本:教育関連企業のブランドマネジメントなどをしていました。当時、「理念と経営のバランスが大事である」と仕事の中で教わってきましたが、自分には理念と経営のバランスを本当に保つことができるのか、疑問に思っていました。いろんな先輩にアドバイスを聞く中で、「経営を学ぶのであれば自分で会社を立ち上げるのが一番早い」と言われて。それで2006年に博報堂を退社し、同じタイミングで会社を立ち上げようとしていた知人と一緒に起業することにしたんです。

HIP:起業した会社ではどういった事業を?

松本:当時、南青山に構えていたオフィスの周囲にコインパーキングがやたらとたくさんあって、パーキングの上空部分を借りられたらいいんじゃないか、というアイデアを思いつきました。地上は駐車場のままで、その上を店舗にしたり、屋上を緑化して地域に解放したりする事業です。

HIP:素敵なアイデアですね。

松本:ただ、アイデアはいろいろ出てきても、実際に事業化していくのは大変で。あちこちに事業計画を持って行きましたが、まったく相手にしてもらえませんでした。でも、サポートしてくださる方との出会いにも恵まれ、なんとか生き延びることができて。大変な時期も経験して、少しずつ事業が軌道に乗り始め大きな会社に育てていこうというタイミングで退社を決めました。

退路を絶って独立したものの、門前払いばかりのスタート

HIP:育ててきた事業に踏ん切りをつけるのは勇気がいることかと思いますが、何かきっかけがあったのでしょうか?

松本:会社が落ち着いてきたことで、自分がもともとやりたかったことにチャレンジしたいという気持ちが強くなっていました。加えて、当時とある保育園の手伝いをしていたこともあり、保育業界でどうアプローチしていけばいいかをつかみ始めていたので、いよいよ挑戦するときかなと。退路を断ったほうが道が拓けると思って、まず独立しました。

HIP:それで、「まちの保育園」を立ち上げたわけですね。

松本:1年間がむしゃらに働いて資金を集め、ずっと構想を描いていた「まちの保育園」の実現に向けての行動を始めました。新設の法人が認可を受けて保育園を開園するのは本当に至難の業で、ほとんどの行政区では門前払いでしたね。

HIP:厳しい環境だったんですね。そんな状況をどうやって乗り越えたのでしょうか?

松本:実現に向けて、たくさんあった困難な問題を一つひとつ因数分解していくようにしていました。そうした中で、「東京都認証保育所」という東京都独自の制度を使い、2011年、練馬区の小竹向原で初の「まちの保育園」を開園することになりました。

「まちの保育園」を通して復活させたかったものとは?

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