いわゆるマーケティング的なことはしていないんです。自分たちが理想とするビールだけを提供しています。
HIP:子会社を立ち上げるにあたってメンバーはどのように集めたのでしょうか?
吉野:立ち上げの時点では、私とスプリングバレーブルワリー社長であり、マーケティング部時代の上司であった和田徹、そしてビールの味わいを決定するマスターブルワーの田山智広の3名でスタートしました。そこからいろんな人に声をかけて最終的にコアメンバーとなったのは10名程度。最終的には社内外含めて100名以上の方が関わるプロジェクトになりました。
HIP:声をかけたときの反応はいかがでしたか?
吉野:なかには大反対する人もいましたが、コアメンバーになってくれた人たちは肯定的でしたね。みんな特定分野のスペシャリストだけど、社内では変わり者として知られている、「宇宙人みたいな人」ばかりでしたが(笑)。
HIP:どうやってスペシャリストの方々を集められたんですか?
吉野:つくり手が本当においしいと思えるビールづくりをしようというビジョンに共感してもらえたのは大きかったと思います。ただ、彼らは各部署のエース級の方メンバーなので、私の力だけでは不可能でした。社長の磯崎が後押ししてくれたことに加え、「このメンバーが集まればすごいことが起こるはずだ」と多くの方に期待をかけていただいて、各部署や人事も積極的に動いてくれたんだと思います。
さらに、どんなブルワーを仲間に入れるかも成功の鍵を握っていました。情熱のあるベテランブルワーの田山を中心に、これからのビール文化を担うためには次世代の育成も必要。それで田山を慕う若いブルワーにも声をかけました。ブルワーたちの知見を活かしてこれまでにない個性的な味わいを生み出す実験の場として、ビールの新しい楽しみ方を広げていく場として立ち上げたのですが、若くて勢いのある人間と、経験豊富でどしんと構えてくれる人間が良いバランスで参加してくれたことにより、育成機関としての側面も得ることができました。
HIP:そういった多様な人材に集まってもらえるのは、大企業ならではのメリットですね。
吉野:正直、それまでの組織では、優秀なスペシャリストたちを活用しきれてなかったんじゃないかという思いもあったので、社内メンバーの力だけでここまでできるんだと示したい気持ちもありました。ちょっと偉そうな感じですけどね(笑)。
HIP:キリンビール内の新規事業ではなく、子会社化する決断をしたのはなぜだったのでしょうか?
吉野:やっぱりキリンビールという会社だと組織が大きすぎるんですね。スピード感を持ってガンガン動いていける組織にしようとは最初から決めていたので、子会社化するのが最適だという判断になりました。
HIP:キリンビールとは業務の進め方も違うのでしょうか?
吉野:違いますね。例えばマーケティングにしても、キリンビールで販売する商品は、当然ながら「どういうターゲット層がいるか」とか「市場にどんなニーズがあるのか」という調査からスタートします。けれども、うちでは「私たちはこれが面白いと思うんですけれど、みなさんはいかがですか?」という提案の仕方をしています。お客さまも仲間のひとりと考え、一緒につくっていくイメージなんです。
HIP:ニーズに応えるのではなく、消費者のインサイトを掘り起こしていくんですね。リサーチも行わないのですか?
吉野:定量調査をすることはありますが、何かをつくるうえでの判断材料にはしていません。それよりもお店に立って、どのビールが出ているか、どんな料理と一緒に注文されているのかなど、生の声をダイレクトに商品開発に活かすことが多いです。
例えば、SPRING VALLEY BREWERY TOKYOのレギュラーメニューのなかには「on the cloud」というビールがあります。日本ではあまり馴染みのない「ホワイトエール」タイプのビールなんですが、店舗で提供をはじめたところ、季節によってはトップの売上を記録するほどの人気商品となりました。こういったお店での反響を受けて、キリンビールから発売したのがグランドキリン「グランドキリン WHITE ALE」です。
HIP:店舗がテストマーケティングの場としても機能し、本社の商品開発に還元されているのですね。
吉野:小ロットで生産することができ、お客様にすぐに味わっていただける。新たな商品の開発のためにこれ以上ない環境です。ただ、店舗が果たしている重要な役割はそれだけではありません。「クラフトビール」という新しい文化を受け入れていただくために、まずは「よい体験」をお客様に味わってもらえる「場」こそが大事だと思ったんです。
新しいビールを受け入れてもらうには、ビール単体だけではダメで、その飲み方、マッチする食材など、ライフスタイルに取り入れてもらうための総合的な提案をしていかなければなりません。その発信基地となるような店舗の存在が必要不可欠だと、SPRING VALLEY BREWERYの立ち上げ時より考えていました。地道な活動ではありますが、ていねいにクラフトビールの魅力を伝えていくことが必要です。