ユーザー同士がすれ違うと、お互いのオススメ本の情報を交換できるスマートフォンアプリ「taknal(タクナル)」。2021年2月には、Yahoo!検索トレンドやApp Store、Google Playのダウンロードランキング上位に登場。そんないま話題のアプリを手掛けているのが「大阪ガス」と聞くと、少し意外に思う人もいるかもしれない。
メインのエネルギー事業とは、まるでかけ離れたサービス。畑違いともいえるアプリが誕生するきっかけとなったのが、2017年に始動した新規事業創造プログラム「TORCH」だ。若手社員を中心に幅広く自由なアイデアを募り、ワークショップやコンテストを通じて新規事業を生んでいく試みだという。
関西の大手ガス会社が、なぜデジタルサービスをはじめたのか? 社内に前例も知見もない未知の事業を、どうかたちにしていったのか? taknalを発案した青木拓也氏と、TORCH事務局として青木氏に併走しつつ、同じく気分転換のヒントである「ゆるネタ」を楽しむアプリ「ラムネ」を新規事業として推進する富田翔氏にお話をうかがった。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 撮影:福森公博
常に新たな出会いと発見を生むアプリ、「taknal」と「ラムネ」
HIP編集部(以下、HIP):「taknal」と「ラムネ」について、あらためて教えてください。
青木拓也氏(以下、青木):taknalは、「本との出会いを提供する」スマートフォンアプリです。
誰かにおすすめしたい本をアプリに登録し、ユーザー同士が物理的に「すれ違う」ことで、互いのおすすめ本の情報を交換することができます。特に操作を必要とせず、スマホを持って移動するだけで、数多くの新しい本と出会えるのが最大の特徴です。
現時点でユーザーが登録している本の数は、約10万冊。その交換が日々行われています。たとえば、関西の都市部で1時間ほど移動した場合、300冊くらいの本と出会えたこともあります。
HIP:実際に使ってみましたが、たくさんの知らない人のおすすめ本と、その感想に簡単に触れられる体験がとてもおもしろかったです。
青木:ありがとうございます。もともと本の紹介や読書体験を提供することだけが目的ではなく、本というメディアをきっかけに、いろんな人の日常にちょっとした発見や変化を提供するようなサービスができたらいいな、と考えていたんです。
HIP:「ラムネ」についても教えていただけますか?
富田翔氏(以下、富田):ラムネは、マンネリ化した日常に対して、元気や変化を与えられるように、気分転換のヒントを提供できればいいなと思ってつくったスマホアプリです。
サービス側から提供するお題に対して、普段実践している気分転換のヒントを「ゆるネタ」と称して、ユーザーの皆さんがゆるく投稿できるプラットフォームといったイメージですね。
「電車が遅延してもイライラしないコツ」「カップ焼きそばのアレンジ選手権」など、現時点で2,000以上のゆるネタが集まっているので、自分が興味のあるお題にアイデアを投稿したり、他のユーザーの投稿から生活のヒントを得ることができます。
共通のテーマに対してリスナーがハガキやメールを送る、ラジオのようなコミュニティーを思い浮かべていただけるとわかりやすいと思います。
若手社員の「個人的な思い」を拾い上げ、世に問うためのプログラム
HIP:どちらのサービスも、「TORCH」という大阪ガス内の新規事業創造プログラムから生まれたそうですね。これは、どういったものなのでしょうか?
富田:TORCHは、若手社員をメインターゲットにした新規事業創造プログラムとして2017年にスタートしました。年に一度、全社員が参加できるコンテストを実施し、新規事業のアイデアを募集。入賞したアイデアは事業化に向けて動き出します。
35歳以下の若手には、計5回のワークショップを通じて、新規事業のつくり方を学びながら実践できる研修プログラムも用意していて、そこからコンテストに挑むことも可能です。なお、ラムネは2017年の第1回コンテストで、taknalは2018年の第2回のコンテストでグランプリを獲得したアイデアですね。
HIP:「TORCH」が発足した背景として、大阪ガスにはどんな課題感があったのでしょうか?
富田:TORCHは、主に2つの課題感から生まれました。1つ目は本業であるエネルギー事業とは別の、新しい事業の柱を育てること。2つ目は、若手社員の想いやアイデアを埋もれさせず、拾い上げるような仕組みをつくることです。
2017年にガスの小売全面自由化がスタートしたこともあって、エネルギー分野のビジネス環境はさらに厳しくなっていきます。そんななか、既存事業にとらわれない、まったく新しいアイデアを社員から発掘できるように、TORCHのプログラムを設計しています。
HIP:翌年の2018年には「イノベーション推進部」も新たに設立されました。TORCHと合わせ、新規事業を推進していく体制がより強化されていますね。
富田:イノベーション推進部は、どの既存事業部にも属さないコーポレート部門です。アメリカのシリコンバレーにも拠点を設け、国内外の大企業やスタートアップと協働しつつ、社内の各事業部とも連携しながら、さまざまな動きにトライしています。
いまメンバーは40人くらい。私のように新規事業をつくっているビジネスインキュベーションチームのほか、社内の新技術に関する戦略の立案や推進を担うチーム、特許や著作権などの知的財産を扱うチームなどによって構成されています。
これまでにも各事業部内で新しい事業開発の取り組みは行われてきましたが、それらを横断、融合できる部署を設けることで、分野や手法を問わず新しい挑戦を生み出していくのが狙いです。TORCHも、2018年からはイノベーション推進部内のプログラムとして運営されています。
HIP:その体制によって、ラムネやtaknalのような、ある意味「大阪ガスらしからぬ」アイデアが事業化されていったわけですね。
富田:そうですね。たしかに、ラムネやtaknalを大阪ガスが提供しているのは意外に思われるかもしれませんが、そもそもTORCHでは社員一人ひとりの「個人的な思い」をベースに事業をつくることを大切にしています。
これまでの枠にとらわれず、「社会をこう変えたい。こんな方を笑顔にしたい」といった個々の価値観を拾い上げ、世に問うためのプログラムなんです。ラムネでいえば私、taknalは青木を中心とした5名のメンバーの思いが発端となっています。
青木:taknalのアイデアも、もともとは自分たちの「こんなアプリがあったらいいな」という思いが発端でした。
メンバーはみんな入社10年前後で、部署の異動もほとんどなかったため、新しい刺激や知識を得たいと思っていました。それを得るための手段を考えた結果、「本×すれ違い」というアイデアが生まれました。
HIP:とはいえ、あまりにもエネルギー事業からは遠いサービスです。新規事業の創造にあたり、現業とのシナジーは特に求められていないのでしょうか?
富田:あるに越したことはないけれどもマストではない、という感じですね。コンテストの審査項目にも「現業とのシナジー」という評価軸はありません。それよりも、事業としての新規性や将来性、そして、本当にそれが社会にとって価値があるものかどうかを重視しています。