未開の宇宙のように、未だ解明されていない部分も多い人間の「脳」。そんな謎めいた脳の情報を用いた技術「ブレインテック」が注目を浴びている。なかでも脳波などの信号を読み取り、さまざまなコミュニケーションを可能にする「Brain Computer Interface(BCI)」は、人類の未来を大きく変える技術と言われている。
CyberneXは、そんなBCIを活用し人々のウェルビーイング向上を目指すブレインテックカンパニー。2020年に富士ゼロックス(現・富士フイルムビジネスイノベーション)からスピンアウトし、脳情報活用支援事業やリラクゼーションサロンの経営など、ユニークなアプローチで存在感を示している。同社CEOの馬場基文氏、CSO(Chief Strategy Officer)の泉水亮介氏に、人間の脳の可能性、そして同社が目指す未来について訊いた。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 写真:坂口愛弥
脳情報を活用すれば会話なしで「以心伝心」が実現?
HIP編集部(以下、HIP):はじめに、BCIとはどのような技術なのか教えてください。
馬場基文氏(以下、馬場):簡単に言えば、脳波などの信号を読み取って情報を検出したり、脳に刺激を与えたりするためのインターフェースの総称です。
HIP:具体的には、どんなことができるのでしょうか?
馬場:いろいろな活用方法や可能性が考えられます。たとえば、頭のなかで「エアコンの温度を2度下げて」と思い浮かべるだけで、操作ができるようになる。最終的な到達点の1つとして考えられるのは言葉を介さずに人に思いを伝えられる、「以心伝心」のようなコミュニケーションです。自分がいま怒っているのか悲しいのか、喜んでいるのか。
また、その喜びのレベルまでをもテレパシーのように伝えられる、そんな世界が実現できるのではないかといわれています。もちろん、現時点ではそこまで到達していませんが、宇宙開発のように謎を解明しながら進化していく、ロマンのあるジャンルといえるのではないでしょうか。
HIP:ワクワクする一方で、少し怖い気もします。
馬場:たとえば、ドローンが戦争に使われてしまっているように、どんなテクノロジーにもリスクはあり、使い方次第では人や社会を不幸にしてしまう可能性をはらんでいます。
だからこそ、この分野に先行して取り組む企業が、悪い方向に向かわせないための技術やビジネスを確立する必要がある。少なくとも、私たちは人間が幸せになるために、この技術を使いたいと考えています。
HIP:では、CyberneXではどんなBCI事業を展開していますか?
泉水亮介氏(以下、泉水):CyberneXでは、イヤホン型脳波系を応用したBCI技術XHOLOS Ear Brain Interface(以下、XHOLOS)を開発しています。XHOLOSは、耳に装着するだけで脳波を含む生体情報を取得し(本稿では以下、単に脳波と記載)、さまざまなシーンで簡単に脳の活動にアクセスできます。
取得した脳情報は自動的に分析され、その状態を外部のデバイスなどにリアルタイムに送信することも可能です。昨年からは、このプラットフォームを使った「脳情報活用支援事業(Works with XHOLOS)」もスタートさせました。
「感性の測定」で生まれた入眠音楽提供サービス
HIP:「脳情報活用支援事業」では、どのような脳の情報を、どのように活用しているのでしょうか?
馬場:たとえば、「心地いい」「リラックスできた」「癒された」といった情緒的な価値って、なかなか可視化できないですよね。アロマを嗅いでみたり、ヒーリングミュージックを聴いて何となくリラックスした気分になっても、結局は個々の感覚でしかなく、それが本当にどの程度の効果をもたらしているのか測ることはできませんでした。
しかし、XHOLOSを使えば、脳波の状態からそうした感性的な要素を測定可能です。たとえば、リラックス商材を扱う企業がこの脳情報を参考に新しい商品やサービスを開発するというような、これまでにない価値をつくることに役立てられると考えています。
泉水:すでに具体的なサービスも誕生しています。代表例の一つが、CyberneXの技術を用いた入眠音楽提供サービス「NEUROTONE」。イヤホンで複数の楽曲を聴いてもらい、脳波を測定します。測定結果から、その人にとって最も入眠に適した音楽を割り出して提供するというサービスです。
HIP:いわば自分の脳が主張しているわけですから、かなりの説得力がありますね。
馬場:そうですね。これまではメーカーの商品開発などでも、便利さや効率性、スペックなどの機能的価値を重視してきました。しかし、機能的価値の追求は車でも家電でも、あらゆるジャンルにおいて行き着くところまで行っていて、もはや満ち足りてしまったのではないでしょうか。
そうなると、これからは心地よさや気持ちよさ、幸福感や癒しを感じるといった情緒的価値や、自分に最も合うものは何かといったパーソナライズの方向に目が向けられていくはずです。ただ、そのためには情緒的な情報や、人それぞれが持つ固有な情報を正しく計測し、エビデンスとして活用するための技術が必要不可欠であると考えています。
BCIはサロンから家庭にも応用できる
HIP:「脳情報活用支援事業」のほかに、昨年にはリラクゼーションサロン「Holistic Lab XHOLOS 麻布広尾」(近日改称予定)もオープンしています。ブレインテックの会社がサロンを手掛けるというのは意外というか、ユニークなアプローチですね。
馬場:サロンを始めたのは、ブレインテックのリーディングカンパニーとしての「背中を見せる」ためでもあります。ブレインテックは、どの企業もまだ手探り状態。大きな可能性を感じつつも、具体的にどんな市場があるのか、どうやって社会実装し、いかにマネタイズをすればいいのか誰もわかっていない。
冒頭でもお話したとおり、BCIのゴールが「言語を超えてテレパシーのようにコミュニケーションがとれる」ことだとして、それが実現できるのがいつになるのかも検討がつきません。見とおしが立たないものにコストと時間をかけて没頭することは、普通なかなかできませんよね。
しかし、長期的な目標の過程でも、十分に価値を見出すことはできるはずです。先ほどの、脳波の状態から感性的な要素を測定することも、その1つ。そうした価値をしっかり表出化して提供できれば、十分にビジネスにできる。サロン経営で、そのことを実証したいと考えています。
HIP:ちなみに、サロンでは脳波の状態をどのように施術に反映させているのでしょうか?
泉水:心身がリラックスした時に発生する「α波」などの特徴的な脳波を計測し、その変化を見ながらセラピストが施術を行います。具体的には、脳のリラックス状態によって目の前にあるライトの色が変わり、セラピストはお客様のリラックス度合いをリアルタイムで把握できるわけです。これにより、そのお客さまに合った、いわばオーダーメイドの施術が可能になります。
馬場:当初はこれをBCIと呼んでいいものかどうか迷いました。しかし、実際にやってみると言葉を介さずとも、セラピストは脳波の状態を見てお客さまとコミュニケーションをとり、心身ともに深いリラックス状態へと導いている。これはまさに以心伝心ですし、十分にBCIの一部といっていいのではないかと思います。
HIP:たしかにそうですね。それに、この仕組みはサロン以外のさまざまなシーンに応用できそうです。
泉水:リラックス度だけでなく、脳波の状態から「集中度」などを測定することもできます。考えられるのは、子どもが自室で勉強をしているときに、その集中度によってリビングのライトが変わるようなシステムですね。
ライトの状況を見て親御さんは「いまは集中しているから、声をかけるのはやめよう」、逆に「集中力が切れそうだから夜食を持っていってあげよう」など、無意識のコミュニケーションが可能になるわけです。ほかにも、いろいろなシチュエーションに応用できるプラットフォームだと思います。