富士ゼロックスが知財を手放した理由
HIP:馬場さんは前職の富士ゼロックス時代から、コミュニケーションにまつわるさまざまな研究やプロジェクトに携わっていたそうですが、そのなかで最終的にブレインテックという分野に行き着いた理由を教えてください。
馬場:理由はいくつかありますが、1つは「自分がつくった技術で世の中を変えたい、人類を進歩させたい」という欲求からですね。
もともと富士ゼロックスに入社したのも、米ゼロックスコーポレーションのイノベーターマインドに憧れたからです。複合機、FAX、PCのインターフェースといったいまではあたり前に使われている、しかし世の中を変えたようなすごい発明をいくつも世に送り出してきた会社で、これからの未来をつくる仕事をしたいと考えました。
どうせやるならワクワクするものがいいと考えていたところ、「脳」というジャンルに出会ったんです。脳には未だ解明されていない謎が多く、それだけに大きな未来とロマンがあると感じられました。また、世の中を大きく変える可能性も秘めているのではないかと。
泉水:余談になりますが、私が富士ゼロックスに入社したときの研修で、馬場と初めて会ったんです。そこで、いきなり「君たち、価値創造って知っているか!?」といわれて、何だこのおじさんは、と思ったのを覚えています(笑)。プロダクトに価値や意味をきちんと付加していく姿勢は、隣で見ていてずっと変わっていないですね。
HIP:ちなみに、もともとは富士ゼロックスでBCIの研究をされていたそうですが、2020年5月にスピンアウトというかたちで独立したのはなぜでしょうか?
馬場:端的に言えば、自分がやりたいことを続けるためですね。富士ゼロックスではBCI以外にもさまざまな新規事業のプロジェクトを動かしていて、当初は会社もバックアップしてくれていました。
ただ、やはり時間が経過するごとに、いろいろなことをいわれるようになるわけです。「成果はいつ出るのか」「そんなことをやって意味があるのか」と。企業である以上はあたり前のことなのですが、最後の2年くらいはなかなかつらい立場でしたね。
HIP:それならば、いっそ会社を離れて自由にやろうと。
馬場:はい。「私は、この事業を続けたいので辞めます」と。とはいえ、私がこれまでやってきたことは富士ゼロックスに知的財産権があり、会社を離れてしまえば知財を使った事業を続けることはできません。そこで、「私に関連知財を売ってください」と当時のトップに交渉した結果、90件以上の特許資産を譲渡してもらえることになったんです。
大きなポイントだったのは、トップが明確に「この知財は無用なので使わない」という意志を示してくれたことです。これにより、富士ゼロックスの関連部署の方々も速やかに動いてくれて、スムーズに知財を譲渡していただけました。
HIP:それはすごいですね。いくら使わないとはいえ、会社の大事な経営資源である知財を手放すというのは、なかなかできることではないと思います。
馬場:もちろん、私の力だけで実現できたわけではなく、多くの人に助けてもらいました。とくに、当時の執行役員だった河村隆さんや大西康昭さんには、大変お世話になりましたね。お二人には私が独立を決めたときからご支援いただき、知財譲渡の交渉の際も同席してくれました。
ちなみに、大西さんはいまではCyberneXの社外取締役として事業に参画してくれているんです。お二人に限らず、当社に思いを持ってジョインしてくれている社員を含め、周囲でご支援くださる多くの方々に支えれており、人には本当に恵まれていると思います。
熱を伝播させると仲間は集まる
HIP:なぜ、馬場さんの周りにはそうした支援者が現れるのでしょうか?
馬場:手前味噌ですが、私が意識していたのは、周囲に自分の夢や構想を積極的に語ることです。「ぼくはこういう未来をつくりたい。そのために、こんなことを考えている」と公言し、口だけでなく実際に取り組む。そうすると、1人2人と少しずつ協力者が増えていくんです。
HIP:なるほど。周囲に熱を伝播させていくという。
馬場:会社員が社内でやりたいアイデアをかたちにしたり、新しい事業を実現させるためにも大事なポイントだと思います。つまり、最初は1人の小さな活動だったとしても、周囲に熱を伝えて輪を広げていくことが大切。何か新しいこと、面白いことをやりたい人たちが、どんどん集まってくるんです。
たとえば、最初は課外活動的に1人でプロトタイプをつくっていても、その姿を見た人たちが興味をもち仲間になってくれて、活動の幅も広がっていきます。
それが「偉い人」にまで届くようになれば、正式に会社から予算がつくかもしれません。実際に、私もそういう経験をしてきました。ですから、やりたいことがあるなら自分の胸の内に留めず、積極的に語るということも重要ではないかと思います。
行動結果の過程にある「内面データ」の蓄積を
HIP:お話をうかがっていて、CyberneXがこれからブレインテックをどう進化させ、いかに社会へ実装していくのか、非常に楽しみになりました。
馬場:ありがとうございます。現時点では、取得した知財のうち事業に結びつけられているのは1割程度。残りの9割は5~10年先の未来を見据えて結実させていきたいと考えています。
以前、世界の有力な特許の過去事例を研究したことがあるのですが、その多くが出願から10年後に花開いているんです。つまり、最低でも10年先の未来を見据えて知財を構想しておかないと大きな成果にはつながらず、競争力も生まれないということ。できるだけ遠くを見て、いまできることを着実にやっていけば必ず未来は切り拓けると信じています。
泉水:日本企業は1980年代、90年代、2000年代のよかった時代の力がまだ残っている状況だと思います。一方で、そうした企業がもつ特許で活用されていないものが多々あるのは、よく指摘されているところです。
力が残っているいまならば、まだ活用していない資産に息を吹き返らせて日本全体の競争力を復活させることにつながるかもしれない。というよりも、いまはその最後のチャンスだと思って、新しいものをつくっていきたいと私も思っています。
HIP:ちなみに、馬場さんが見据えている未来とは、どんなものでしょうか?
馬場:先ほども少しお話しましたが、私が目指しているのはこの技術を使って人々を幸せにすること、人類を進歩させることです。
具体的には2つあって、まずは脳と脳で直接コミュニケーションができる、新しいインタフェースを確立すること。これはわれわれ以外にも世界中のいろいろな人が研究していますので、CyberneXならではのアプローチで新しいコミュニケーションの在り方を考えていきたいですね。
そして、もう1つは人に寄り添い、支援するような存在をつくること。たとえばAIを搭載したリアルまたはバーチャルな支援ロボットのようなものがあったとして、そこに自分の脳情報を活用することで、自分のことを最も理解してくれるパートナーがつくれるかもしれません。
HIP:いわば、もう1人の自分が、自分を助けてくれると。
馬場:そうですね。いまの世の中には「行動の結果」についてのデータは膨大に集まっていますが、その過程の「プロセス」のデータがないんです。プロセスというのは、その人がどんなことを考えてその行動に至ったのかという、内面のデータがない。
人間が幸せになっていくためには、その内面の部分こそ知らなければならないと思っています。1人ひとりが何を考え、どんなストレスを抱え、どんな思いでいるのか、そうした情報を掴んでいかないと、ウェルビーイングにはつながりません。
日々の人の内面のデータを集めてAIに学習させていけば、自分のことをどんどん理解してくれるようになる。それによって、感情に寄り添ってくれるAIができるわけです。テレパシーで感情を理解し、心の健康をサポートしてくれる存在が近くにいたら幸せになれるはず。そんな世界を目指していきたいですね。