一度は頓挫した新規事業プロジェクト。復活できたのは、上層部と同僚の協力があったから
HIP:どんな想いでしょうか?
川口:かつてのブラザー工業にあった、新規事業への意欲が失われているのでは、という危機感です。
私は新規事業推進部に異動してすぐ、ブラザー工業がこれまで立ち上げてきた事業について徹底的に調べました。そのプロセスやナレッジ、組織作りまで、さまざまな人にヒアリングしたり、古い資料を閲覧したりして、会社の事業の成り立ちを俯瞰的に捉えてみたんです。すると、この会社のチャレンジ精神やユニークな着眼点が見えてくると同時に、そうした強みが現在のブラザーには失われつつあるのではないかと感じました。
これを、このままなくしてしまうのはもったいないと思い、2013年にBAtONの原型となる企画を上司に出しました。
HIP:企画は会社に受け入れられたのですか?
川口:いえ、当時は私が目先の業務に追われている状態で、また上層部からも「今はスキームの企画よりも新規事業そのものの企画を多く出してみてはどうだろうか?」という意見があり、一旦は白紙になりました。
ふたたび動き始めたのは、2015年。当時の社長(現代表取締役会長)だった小池利和による「テリーのチャレンジ塾」という幹部候補生育成プログラムがあり、私も一期生として選出されたのがきっかけでした。
プログラムの内容は、参加者一人ひとりが「チャレンジストーリー」と銘打った公約を掲げ、それを会社がバックアップしてくれるというもの。そこで私はBAtONを再提案したんです。
HIP:なぜ再提案しようと思ったのでしょうか。
川口:そのタイミングで間瀬が新規事業推進部にジョインしてくれたのが大きかったですね。最初の提案時は一人で心細かったのですが、デザインラボを通じて新規事業領域のプロダクトや運営の知見がある間瀬となら、やり切れるかもしれないと思いました。
それからは二人でBAtONの企画をブラッシュアップしていくと同時に、トップのOKをもらうための戦略を進めました。それはBAtONを立ち上げる際に関連しそうな役員や部門長の皆さん一人ひとりに相談にうかがい、アドバイスを求めながら多くの人を巻き込んでいったことです。
いただいたアドバイスをもとに懸念事項をすべてクリアし、稟議をとおす役員の順番も含めたプロセスを考えました。また、役員にピッチするときも「◯◯部門からはOKいただいているんです」「BAtONの企画のここがよいと◯◯さんのアドバイスをいただきました」という形で根回しをしていき、最終的に万全の体制で社長プレゼンに臨み、「そこまで検討したなら、やればいい」と即決していただくことができました。
そして、晴れて2017年にBAtONが誕生しました。やはり、新たな事業においては起案者の「想い」と、ともに目標へ向かう仲間や経営層の理解が不可欠だと感じました。
BAtONがなくなってからが本当のスタート。真のイノベーティブな会社の姿とは?
HIP:すでにBAtONから生まれた複数のプロジェクトが動いているそうですが、引き続きアイデアの募集は行っているのでしょうか?
川口:いえ、じつはいったん企画の募集はストップしています。というのも、BAtONでは何でもかんでも採択されるわけでもなく、事業化が約束されているわけでもないため、当然ながら落選や中止をする企画もあります。「あの(企画)レベルでもダメなんだ・・・」や「BAtONは敷居が高いので自分のアイデアでは無理」「挑戦したいけれどアイデアが浮かばない」というコメントを直接的・間接的に聞くことが多くなり、応募数は回を重ねるごとに減っていきました。
そこで、いまはいったん新規の募集を止めて、チャレンジの敷居を下げる取り組みに力を入れています。その一つが、間瀬が行っている「アカデミア」です。
HIP:どのような取り組みですか?
間瀬:新規事業立ち上げのプロセスを約4か月で習得するカリキュラムを設けています。講師として先輩社内起業家も参加し、アントレプレナーシップとは何か、アイデア以前の顧客課題の見つけ方、コンセプトのつくり方、といったことを実践形式で学んでもらう内容です。
HIP:BAtONやアカデミアを社内に導入したことで、社内の新規事業に対する機運は高まっていると感じますか?
間瀬:BAtONの名前は多くの社員が知っていて、興味を持ってくれていると感じます。同時に「誰でも新規事業の創出に挑戦できる」というスローガンもかなり浸透してきたのではないでしょうか。ただ、「こんな商品あったらいいな」「できたらいいな」と思い描く所から新規事業の企画へ移行するのは大変ですので、そこはアカデミアなどの取り組みを通じて、挑戦したい起案者をサポートしていきたいと考えています。
川口:先ほどBAtONへの応募が減っていると話しましたが、各事業部内で新規事業をやりたいと考えている人たちからの相談は相変わらず多いです。それに、2030年度に向けた新ビジョンのなかでも、これまでの事業の枠を超えた新たな柱を築くというメッセージが掲げられるなど、会社全体としてあらためて新規事業に注力していく機運は高まっていると感じます。
HIP:その新たな柱を生み出すためにも、BAtONにかかる期待は大きいと思います。最後に、今後の展望を教えてください。
間瀬:これは私と川口がBAtONを立ち上げた当初から話していることですが、ゆくゆくはこの仕組み自体をなくしたいと考えています。つまり、BAtONのような仕組みがなくても、社内で次々と新規事業が立ち上がるようにしたいんです。そうした真の意味でイノベーティブな会社に生まれ変わったときが、このプロジェクトのゴールであり、新たなスタートだと考えています。