誰もが知るメガ・エアラインのANAグループ。収益の柱は、エアライン事業だが、じつはいま航空分野以外の「ノンエア事業」が、ANAグループのなかで注目されている。
このノンエア事業は、ANAグループが持つ有形、無形資産をもとに、オープンイノベーションを活用することで、商品サービスの刷新と人材育成をスピーディーに推進し、収益の拡大につなげるという。その中核を成すのが、2016年に設立された子会社「ANA X」だ。
ANA Xの主な事業は、フライトや生活シーンでマイルが貯まる「ANAマイレージクラブ」を中心とした顧客関連事業。顧客データを分析、活用し、新しい価値を創出することでANA経済圏をさらに拡大することを使命としている。ANA社内の組織ではなく、あえて別会社として始動した「ANA X」が目指すイノベーションとは。代表取締役社長の稲田剛氏に、話を聞いた。
取材・文:笹林司 写真:西槙太一
顧客データが、ANAグループの課題を解決する一助になる
HIP編集部(以下、HIP):最初に「ANA X」がどのような会社なのかを教えてください。
稲田剛社長(以下、稲田):飛行機に乗って目的地に向かうのは「トラベルジャーニー」ですが、「ANA X」は、お客さまの365日に寄り添う「ライフタイムジャーニー」を目指しています。
それを実現するためには、お客さま一人ひとりの趣味や行動にパーソナライズされた仕掛けが大事で、顧客データが必要不可欠。そこで、「ANAマイレージクラブ」や「ANAカード」の顧客データを最大限に活かし、さまざまな取り組みを展開しているのが「ANA X」です。
HIP:これまでANAが溜めてきたビッグデータをもとに、新しいビジネスを展開する会社ということですね。
稲田:はい。5年くらい前から、私を含む数人の有志メンバーで顧客データの活用方法を議論していたのですが、それが「ANA X」の始まりでした。
「ANA X」は、ANAのマーケティング部門の一つであるロイヤリティマーケティング部からスピンオフした会社です。機能はすべて「ANA X」に移管され、実質、分社化というかたちで2016年に設立されました。
ロイヤリティマーケティング部から「ANA X」に移管された主な業務は2つ。「ANAマイレージクラブ」と「ANAカード」の運用です。
これらのカスタマーデータを活かして、eコマースやアプリなど、さまざまなものと組み合わせ、シナジーを生み出す方法を見つけたい。そうすれば、ANAがいま抱えているリスク、少子高齢化や不測の事態による顧客減などの課題を解決できると考えたんです。
HIP:あえて分社化したことによるメリットは、どういうところにありますか。
稲田:航空事業を中心とした売上高や営業利益にとらわれず、ANAグループ全体に寄与する視座を持つために、分社化はとても良いと思います。
ANAグループには、航空会社3社をはじめ、物販をおこなう全日空商事や、ツアーを販売するANAセールス、不動産や保険を扱うANAファシリティーズなど、ノンエア事業の子会社が多数存在します。
顧客のライフタイムバリューに寄り添う戦略を考えたとき、航空事業だけにとらわれず、こういった子会社にも目を向けて、連携することがとても大事です。あえてANA本体とは少し距離をおいたほうが、新規事業はドライブしやすいと判断したんです。
また、大小問わずグループ企業が総力を結集すれば、ANA一社では出せない魅力を生み出すことができ、よりスケールできるのでは、と考えました。
「死に物狂いでやれ」と言われ、覚悟を決めた
HIP:大企業のなかで、分社化を提案するのはかなり勇気がいることだと思います。稲田さまはそのままANA Xに移られたわけですが、決断に至ったきっかけを教えてください。
稲田:頭ではわかっていても、分社化で失敗した例は山ほど見てきたので怖さもありました。それでも決断できたのは、ある先輩からの「そろそろ会社を立ち上げて、次の一歩を踏み出してもいいんじゃないか」という一言でした。
腹を決めて恐る恐る分社化の提案をしたのですが、当時のANAの社長からは「提案したメンバーが、命がけで死に物狂いでやるなら認めてやる」と強く言われました。その言葉を聞いて、正直少し怯んだ部分もありましたが(笑)、発起人として、やると決めたからには他の人に譲りたくはないと思いましたし、あらためて覚悟を決めるきっかけになりましたね。
HIP:分社化に関して、社内からの反対意見はなかったのでしょうか。
稲田:「本来の航空事業に紐づくマイレージサービスがおろそかになるのではないか」とか「先行きが不安だから、じきに糸が切れ凧のようにコントロールが効かなくなるだろう」という意見もあったようです。
いまでこそ、マイレージサービスのようなプラットフォームからビジネスを派生させる「経済圏モデル」の認知は広がっていますが、5年前は社内でも理解されにくいビジネスモデルでした。理解してもらうためには、繰り返しの説明で理解してもらうしかない。
一人だけだったら諦めていたかもしれませんが、仲間がいたので、火種だけは消さないように、社内に理解を得られるタイミングを待ち続けました。諦めてもおかしくなかったと思いますが、みんな信念で続けていましたね。