「ブレーキを踏む人」がいないからできたこと
HIP:ブライトヴォックスが開発しようとしているのは、どんなインターフェースなのですか?
灰谷:いわゆる「裸眼AR」です。何もつけずに、裸眼の状態で立体の映像が見えるような立体映像装置です。
完全に3Dの映像体験をするには、VRゴーグルを着用しメタバース空間に入っていく必要があります。しかし、VRゴーグルは多くの人が行き交う場や、不特定多人数が同時に体験するような苦手なシーンがあります。
私たちの装置はそのようなメタバースにアクセスできない場において、逆に仮想空間を現実に連れてくることでこの体験を実現しようという試みです。
HIP:事務局として併走してきた森久さんは、灰谷さんのチームをどのように見ていたのでしょうか。
森久:最初は「まだ世の中にないデバイスを本当につくり上げられるの?」と感じていたのも正直なところです。SaaSビジネスのようなサービスを考えるというものではなく、デバイス自体がないとビジネスとしてスタートしようがないわけですから。不安がありましたね。
灰谷:ハードウェアの開発をするためには専門的な知見が必要です。個別の技術要素の開発もさることながら、複数の技術をすり合わせながら、さらにユーザーの反応も含めて最終的なものを仕上げていく必要があります。
TRIBUSではそのプロトタイプの研究開発に加え、フィールドテストや、実証実験を行ないました。つねにこれを見たお客さまの反応を見ながら、作業を繰り返していました。
HIP:そういうときもTRIBUS事務局のサポートを受けられるのでしょうか?
灰谷:はい。絶妙なタイミングで「こんなのどう?」「ここに行ってみたら?」というアドバイスをいただいたり、サポートを受けたりしました。TRIBUSには「これはダメ」とブレーキを踏む人がいないんです。もっとやっちゃおう、という事務局の方が多く、それが文化になっているように思います(笑)。
森久:事務局は社内外のさまざまな方にコンタクトをとりますので、そこから得た情報を各参加チームに提供していきたいと考えています。
じつは私も灰谷さんが初めて応募した2019年に、アイデアを応募した経験があるんです。私は撃沈しましたが(笑)、事務局の方はみんな熱心で、支援しているチームにのめり込む傾向があります。
なかには、正式にそのチームに入ってしまう人もいるくらいです。面白いことを実現させるために、事務局も線をひかずに一緒に面白がりながら実現に併走するようなイメージです。
「出向起業」は自由度が高い
HIP:灰谷さんは会社を辞めることなく事業を立ち上げ、出向というかたちで経営者として新会社で働く「出向起業」というスタイルを選びました。所属企業以外の資本比率を80%以上にしなくてはいけないというルールがあり、自由度が高くなるなどいろいろな特徴があると思いますが、どうしてこの新しい事業形態を選択したのでしょうか。
灰谷:「出向起業」は、日本から起業家がどんどんと輩出されることを狙って、経済産業省が打ち出した施策です。
ご存じのようにアメリカは起業が盛んな国ですから優秀な人は喜んで起業します。日本は起業できるポテンシャルをもった人材は大企業からなかなか輩出されないという背景があり、そういった人材をどんどん引っ張り出して支援していこう、というものです。
新しい仕組みですから、前例もそこまでなく、リコーのなかでも知っている人はほとんどいないような状況でした。このような新しい日本のムーブメントに魅力を感じ、チャレンジしたいと思うようになりました。
HIP:灰谷さん自身が見つけて、TRIBUSに相談したということでしょうか。
灰谷:そうです。TRIBUSは、私にとって本当に最高の場でした。でも2年間で事業化して黒字を達成する、というタイムリミットがありました。
最終的にどういった道筋を選ぶか考えた結果、残った選択肢は、このテーマをリコーの社内部門に移管するか、もしくは起業して外に出ていくのか、という二択になりました。出向起業の仕組みを知って、どちらの良さもある「第三の選択肢」ができたな、と考えTRIBUSに相談しました。
HIP:大企業だと、研究技術、知財などあらかじめ規定を定めるのが大変そうだなという印象がありますが、そこをクリアにするのに苦労されたのではないでしょうか。
森久:TRIBUSとしては、自由裁量権という言葉があるように、その事業をどうするのかを事業リーダーに委ねています。
初めてのことが多く、どこから手をつければよいかもわからない状況でしたが、実現すれば面白いという確信がありました。われわれとしても知見を蓄えられ、次のチームがこの選択肢を取るときにも、成功事例になります。
HIP:そして灰谷さんの採択が決まったわけですね。
森久:ニュースにもなり、他社からもこの制度を活用してみたいからヒアリングさせてほしいという連絡もきています。この制度は勇気を出して大企業から飛び出し、自分で事業を起こそうという人に寄り添うものです。出向元の企業がガバナンスを効かせないとなると、出向元企業は何が得なのかを悩むところだとは思います。
ただ、私たちはTRIBUSの精神の根幹に、弊社創業者の市村清による「儲ける経営より、儲かる経営」という理念を据えています。目先の利益にこだわるのではなく、「世のためにやる」という意識でやれば、結果として自然と儲かるとの理念です。議論を交わしていくなか、最終的にリコーとしても灰谷さんの選択はプラスになるという判断をしました。
プログラム参加者が社内に生む大きなうねり
HIP:TRIBUSで採択され、そして出向起業としてもスタートしたブライトヴォックスは、今後どんなビジョンを描いているのでしょうか。
灰谷:現実に仮想空間の人たちがいて共生する、サイエンスフィクションのような世界観を思い描いています。このようなデバイスを皮切りに、コミュニケーションの新しい提案を続けていきます。
大企業は体力があり、社会実装力もあり、営業基盤もあります。しかし私たちが持っているのは技術と夢だけなので、賛同してくれる仲間を集めて、一緒に夢見た世界を具体化する活動をしていきたいと思います。
せっかく出向起業という立場で仕事をさせてもらっているので、大企業にはできない、ベンチャーらしい戦い方をしていきたいと考えています。
HIP:素敵ですね。TRIBUSとしては今後、どのようなプログラムにしていきたいでしょうか。
森久:いままでなかった面白いものが出てくるような「循環」を生み出したいですね。先ほども話に出たTRIBUSコミュニティでは、大規模なヒアリングをしたり、インタビューをするときに反応してくれたりと、1,500人の社員がさまざまな役割を果たしてくれています。
いまはコミュニティのサポートしかできないけれど、来年は事業提案にトライしてみてもいいという社員も出てくるかもしれません。いろいろなかたちで関われる場にしていきたいと思います。
またこれまでの参加者の方がみなさんからは、TRIBUSに参加したことでこれまで通常業務とは比較にならないくらいの数の人と会った、といいます。そういった方たちが増えていくと、リコーグループに横断的な大きなうねりが生まれます。そこからまた新しい何かができるのではないかとも思いますね。今後も、私自身が予想もつかない展開になるのを期待しています。