液晶の技術を蓄冷材に?シャープ初の社内ベンチャー「TEKION LAB」とは
内海夕香(シャープ株式会社 研究開発事業本部 材料・エネルギー技術研究所 課長 「TEKION LAB CEO兼CTO 博士(工学))
2020.09.10

電機メーカー大手のシャープ株式会社が、電気を使わない保冷バッグなどに使用される「蓄冷材」の開発・販売に乗り出している。同社初の社内ベンチャーである「TEKION LAB」によって開発されたこの蓄冷材は、冷やすものに合わせて保冷温度(融点)の設定が可能。ワインがもっとも美味しく飲める温度をキープできる保冷バッグや、飛沫抑制しながら頬を冷やせるフェイスガードなどのプロダクトを続々と展開している。事業はさらなる拡大を目指している。

仕掛人は、「TEKION LAB」のCEO兼CTOを務める内海夕香氏。研究者として技術の種(シーズ)を創出するだけでなく、自ら顧客ニーズを発掘し、商品の企画設計までを一手に担う。

シャープが蓄冷材という畑違いの分野に参入した理由や、東南アジア駐在員の停電体験に着想を得たという開発のきっかけ、さらには今後の展望について、内海氏にうかがった。

取材・文:榎並紀行 写真:玉村敬太

水なのに「5℃で凍り、10℃で融ける」? 適温を生み出すシャープの独自技術とは

HIP:「TEKION LAB」は保冷バッグや保冷材に使用される「蓄冷材」を研究開発しているとのことですね。どんな特徴があるのでしょうか。

内海夕香(以下、内海):一番の特徴は、冷やしたいものに合わせて蓄冷材の温度を調節できる点です。たとえば食材なら、これまでは「冷蔵食品は10℃以下で冷やす」「冷凍食品は-18℃以下で冷やす」といった大まかな温度設定しかできませんでした。でも、食材によっては冷やしすぎると傷んだり、味や香りを損なってしまったりするものもあります。さまざまな食材をより美味しく楽しめるよう、それぞれの適温に合わせて蓄冷材の温度を細かくコントールし、その温度を長く保つというのが、私たちの蓄冷材の考え方です。

シャープ株式会社 研究開発事業本部 材料・エネルギー技術研究所 課長であり、 「TEKION LAB」CEO兼CTO 博士(工学)の内海夕香氏

HIP:シャープのメイン商材である家電とはかけ離れたプロダクトだと思いますが、どのような技術が使われているのでしょうか?

内海:じつは、シャープが長年研究してきた、テレビのディスプレイなどに用いる液晶材の技術を応用しています。多くの物質は温度によって固体、液体、気体と状態が変化していきますが、固体と液体の中間に現れる特別な状態が液晶。温度が高くなって融けたり、低くなって固体化したりしてしまうとディスプレイには使えないため、物質の相転移温度を制御する技術がとても重要になってきます。

HIP:蓄冷材にも、その技術が用いられていると。

内海:はい。蓄冷材は基本的に「水」を主成分にしており、研究によって氷が水になる融点を変え、設定した温度で融け始めるよう制御することが可能になりました。本来、氷の融点は0℃ですが、私たちの蓄冷材は融点を−24℃から28℃までコントロールできます。

さらに、水が氷になる凍結の温度を制御する技術も確立しました。これにより、たとえば「5℃で凍り、10℃で融ける蓄冷材」など細かい温度設定が可能になったのです。

HIP:その蓄冷材の技術を活かし、どのような商品を開発されているのでしょうか?

内海:たとえば、ワインの適温をキープする「ワインスーツ」ですね。ワインセラーのさくら製作所と共同開発しました。フルボディの赤ワインに適した16℃用、白ワインに適した12℃用、シャンパンなどに適した8℃用と、3種類を展開しています。食卓にボトルを置いた状態で適温を約2時間キープできるため、最後の一滴まで美味しく味わうことができますよ。

「ワインスーツ」。左からシャンパンなどに適した8℃用、白ワインに適した12℃用、赤ワインに適した16℃用

内海:また、2020年8月にはスポーツ用品メーカーのデサントと共同開発した「適温クーリングフェイスガード」が発売されました。炎天下でマスクをしていると熱中症の危険が高まりますが、このフェイスガードは内側に備えつけられているポケットに蓄冷材を入れることで、口や鼻を覆って飛沫抑制しながら頬を冷やせます。適温蓄冷材がずれにくく、屋外のジョギング・ウォーキングなどに最適です。

デサントとは、ランナーの暑熱対策を目的とした「コアクーラー」も共同開発した。手の平にある体温を調整する血管を12℃の適温蓄冷材で冷やすことで、体温の上昇を抑えることができる

内海:BtoB向けの商品としては、食材宅配のパルシステムと共同開発した「青果専用適温蓄冷材」も7月20日から実際に導入されました。12℃で保冷する蓄冷材で、バナナや大葉など低温障害を起こしやすい青果品を輸送する際に使用しています。

「停電後3時間、アイスキャンディーが融けない冷蔵庫」が最初の商品

HIP:電機メーカーであるシャープが、蓄冷材の開発に乗り出したのはなぜですか?

内海夕香(以下、内海):そもそもの発端は2009年。エネルギーに関する新しい材料を開発するための、「材料・エネルギー技術研究所」が立ち上がったことです。そこで検討を重ね、注目したエネルギーが、「熱」でした。電気は電池、光は太陽光パネルの技術がすでにありましたので、次は「熱を蓄(た)める材料」を開発しようと考えたのです。2010年から開発に着手し、当初は3年後の商品化を目指していました。

HIP:エネルギー開発がスタート地点なのですね。そこから蓄冷材の開発に至った経緯は?

内海:ヒントになったのは、東南アジア駐在の社員から寄せられた情報です。彼が出張で1週間ほど自宅を空けたとき、留守の間に停電が起きて冷蔵庫の食材が痛んでしまったそうなんです。その話を聞き調べてみたら、世界には停電が多発する国が数多くあることがわかりました。その地域の人々は冷蔵庫への信頼度が高くなく、食材は守れないものと諦めてしまっている。潜在ニーズがあるのならば、電気が止まっても冷蔵庫内の温度上昇を抑えられる蓄冷材を開発しようと。そこで、いままで技術的に実現できなかった、「冷蔵室・冷凍室それぞれの温度で凍結する蓄冷材」をつくることにしたのです。研究開発をはじめてから3年後の2014年に、停電が頻発するインドネシアで、シャープの冷蔵庫に搭載するかたちで販売をはじめました。蓄冷材を入れておくことで、停電から3時間経ってもアイスキャンディーが融けません。

蓄冷材を設置した冷蔵庫内の写真。写真右上の青い板が蓄冷材

HIP:それはすごいですね。そこから蓄冷材でさまざまな商品を開発し、事業化を目指すことになったと。

内海:はい。次は、この蓄冷材の技術を日本の社会や暮らしのなかに提供できないか考え、さまざまな業種との面談や議論を重ねました。日本は停電がほとんどないため、別の価値をつくらないといけません。そこで辿り着いたのが、3つの分野への展開です。

まず「温度の美食体験」。先ほどお話ししたワインスーツのように、さまざまな食べ物、飲み物がもっとも美味しく味わえる適温を保つ製品の開発ですね。

二つ目は、「人の冷却」。骨折や捻挫のときって氷で冷やすことが多いと思いますが、人間の皮膚は17℃以下になると痛みを感じてしまうんです。そこで、痛みをともなわずにマイルドな冷却ができる温度を長時間保てるアイテムを開発できないかと思い立ちました。

そして最後は、「物流」です。厳密な温度管理が必要な輸送トラックに、私たちの蓄冷材の技術が活かせるのではないかと考えたのです。この三本柱で事業化していこうと、方針が定まったのが2014年頃ですね。

社内ベンチャーはひとつの手段。「TEKION LAB」が単独組織になった理由

HIP:三つの方針を定めてからどのような経緯で、「TEKION LAB」は最初の商品であるワイン用保冷バッグの発売に至ったのでしょうか?

内海:一つ目の柱「美食体験」であれば、BtoC向けのためいち早く事業化でき、コンセプトもわかりやすいということで、まずはワインスーツの開発から着手しました。2013年末にイメージコンセプトのプロトタイプを作成しました。

HIP:ちなみに、「美食」のなかでもなぜワインだったのでしょうか?

内海:私がワイン好きということもありますが(笑)、赤ワインは温度と美味しさが密接に関係するお酒です。しかし、日本の夏は暑すぎて、食卓に置いたボトルがすぐに温められてまずくなってしまう。そこで、赤ワインの適温である16℃を保つアイテムがあれば、愛好家に喜ばれるのではないかと考えました。プロトタイプはワイン好きの幹部にも好評で、手応えを感じましたね。

HIP:ワインスーツが発売されたのは2018年11月。プロトタイプの完成から約4年も間が空いていますが、開発はかなり難航したのでしょうか?

内海:開発よりも、電気製品ではない商品を売るノウハウや、量産の体制を確立するほうが難しかったです。また、幹部は期待してくれていたものの、実際にどれだけのニーズがあるかも未知数でした。

そこで、まずはクラウドファンディングに挑戦してみてはどうかという話になりました。同時に、シャープという大きな組織ではなくベンチャー的な身軽さがあったほうが動きやすいだろうということで、2017年に「TEKION LAB」を社内ベンチャーとして独立した組織として立ち上げたのです。法人化はしていませんが、会社からはある程度の裁量を与えられています。

HIP:事業推進の一つの手法としての単独組織化だったのですね。

内海:そうですね。開発した材料を事業化することが最大の目的だった。「シャープ初の社内ベンチャー」ということで、組織の立ち上げが先にあると思われがちですが、実際は事業にとって最適な手段を選んだかたちです。

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