「Incubation Hub Conference 2014」に登壇したシリアルアントレプレナーとして知られる山田進太郎氏。いまでこそ、インターネット・サービスを生み出す経営者として知られる山田氏だが、かつては飲食業や不動産ビジネスにも興味を持っていた。
「何らかのカタチで世界に通用するサービスを作れないか」、そう考えていた山田氏がインターネット・サービスの世界にどっぷりと足を踏み入れるようになったのは、米国でのある出来事がきっかけだった。
取材・文:HIP編集部
インターネット・サービスは僕にとって天職だった
山田進太郎(以下、山田):「2004年、長年の夢だった米国移住を決め、現地で何か面白いことができないかと探していた時、日本食レストランを売却した女性と知り合いました。彼女は「もう一度、お店を始めたい」と言い、僕も「飲食業がやりたい」と思惑が一致し、一緒に物件を探し回りました。そんなある日、女性から「将来は誰かに任せるとしても、最初は2人で店に立つわよね?」と言われ、ハッとしました。僕は当時、「映画生活」という情報サイトを運営しており、月間100万人位のユニークユーザーを集めていました。一方、レストランはどれほど頑張っても、ひと月にサービスできるのは数千人です。その時初めて、「僕が本当にやりたいのは、何千万人、何億人に使われるサービスをつくることだ!」と、自分の本心に気がついたのです。」
その後、2005年に帰国した山田氏は、個人会社だったウノウを法人化し、写真共有サイト「フォト蔵」、モバイルソーシャルゲーム「まちつく!」などのサービスを開発しながら、世界に通用するサービスを模索。2009年末、当時世界最大のソーシャルゲームメーカーだった米国のZyngaから、買収オファーが届く。企業としての独立性を取るのか。あるいは、世界という夢にいち早く近づける道を取るのか。半年ほど悩んだ末、山田氏は後者を選択した。
山田:「当時、Zyngaのソーシャルゲームは、月間2~3億人のユーザーを獲得していました。その中で、世界に向けて独自サービスを展開できないかと模索しましたが、様々な問題により実現が難しかった。1年半ほど務めた後、2012年1月にZyngaを離れました。」
元々、大の旅行好きだった山田氏は、仕事から離れたこの機会に、世界一周旅行へ出た。半年ほどかけて23カ国を巡り、多くのインプットを得た山田氏は、2012年10月に帰国した時、かつて以上の意欲に駆り立てられていた。そして、2013年2月に株式会社コウゾウ(現・株式会社メルカリ)を立ち上げ、同年7月にフリマアプリ「メルカリ」をリリースする。
世界を旅して回ったことが、C2Cサービスを選んだ決め手になった
山田氏が帰国後にリリースしたアプリ「メルカリ」は、スマホなどで撮影した自分の持ち物を、わずか数分で、かつ、簡単に出品できるフリマアプリ。こうしたサービスを生み出した背景には、山田氏が世界を巡る中で目にしてきた各国の状況があった。
山田:メルカリは、いわゆるC2Cサービスです。世界を旅していた時、経済的に貧しいと言われる国も、着実に経済が発展していることを実感しました。しかしながら、リソースを考えるとすべての国が日本のような生活をすることはできません。一方、世界ではいまも大量のモノが生産されており、使われずに廃棄されるモノも多い。今後、地球規模で資源が逼迫していくことを考えれば、今のシステムには限界があります。ならば、これからは個人間でモノをシェアしながら、モノを大切にしていくことがポイントになる、と思いました。」
Airbnbに代表されるように、何かを譲り合う・分かち合うシェアリング・エコノミー(共有型経済)は、あらゆる分野で広がりを見せている。その流れに加えて、山田氏は世界で普及が進むスマホをベースに、グローバルに展開できるサービスがつくりたいと考えていた。「世界に通用するサービスをつくる」というビジョンを実現するための答えが、C2Cだった。
山田:「僕が設立当初から目指しているのは、「世界に通用するインターネット・サービス」です。人材集めやビジネスモデルの構築、プロダクトの質、資金調達なども、すべてはそこに発想の起点を置いており、現在は世界進出への第一歩として、米国市場への挑戦をスタートさせています。」
メルカリが米国進出を決めた3つの理由
米国に進出することに決めたメルカリ。進出先として米国を選んだ背景には、どういった理由からだったのだろうか。
山田:「最初の進出先として米国を選んだ理由は3つあります。1点目は、米国を征することができなければ、「世界に通用するサービス」とは成り得ないから。かつて、ホンダが二輪車をつくった際、多くの役員は「需要の見込める東南アジアに進出しよう」と言いました。しかし、藤沢武夫氏だけは「米国に行き、『世界のホンダ』になるのが先だ!」と、後に副社長となる川島喜八郎氏を「成功するまで戻ってくるな!」と米国に送り出し、数年かけて大成功を収めたそうです。米国でブランドイメージを確立したホンダは、その後、東南アジアでも大成功を収めています。同じことは、ソニーやトヨタなどにも言えるでしょう。」
2点目として山田氏が挙げたのは、米国は「世界の縮図」であること。米国はまさに多様性の国であり、民族・文化・宗教、様々な背景を持つ人が暮らしている場所。そのような市場を攻略できれば、他の国でも通用するユニバーサルなサービスになる、そう山田氏は考えたという。
山田:「3点目は、日本発のインターネット・ベンチャーとして、米国で最初に“大成功”を収めた企業になりたいから。「米国では、日本のネットベンチャーは通用しない」と言われており、事実、現時点で大成功を収めている企業はありません。しかし、実際にシリコンバレーの方々と接していると、日本で言われているほど、大きな差はないように思います。」
「たとえるなら、野茂英雄選手が海を渡る直前のメジャーリーグ、でしょうか。」そう山田氏は語る。最初は誰もが「日本人選手は通用しない」と口にしていた。しかし、野茂選手は周囲の声を気にせず、たった一人で常識を覆し、大成功を収めた。その活躍は、イチロー選手や松井秀喜選手のように、後に続いてメジャーリーグで成功を収める選手が生まれることに一役買っている。
山田:「野茂英雄選手が示したように、米国で大成功を収める日本発のベンチャーが現れれば、様々なことが劇的に変わっていくはず。非常に難しいミッションですが、メルカリは野茂選手のようなパイオニアになりたいと考えています。」
セオリー通りにやっていて「普通ではない」結果は得られない
メルカリが日本でサービスを開始したのが2013年7月。同年11月には早くも米国進出の準備に着手していた。翌年の4月にはサンフランシスコに拠点を開設し、過去にシリコンバレーでベンチャーを創業した経験を持つ石塚亮氏を現地に派遣。8月にベータ版を、9月には正式に米国版メルカリをリリースしている。かなりの速度で米国への展開を進めてきた。
山田:「メルカリのビジネスは、ユーザーインターフェイスの質とともに、「物流」「決済」が重要なドメインとなります。日本は国土が狭く、宅配便が普及しており、どのような場所にも郵便局やコンビニがあり、全国一律200円以下で配送できるインフラがある。一方、日本の26倍もの国土を持つ米国には、日本のような安価で迅速かつきめ細やかな宅配サービスが存在しません。また、決済の仕組みでは、米国は日本以上にクレジットカードが浸透していますが、詐欺やマネーロンダリングに使われるケースも多く、厳格な法律が整備されています。こうした物流や決済に関する実情に合わせるべく、専門家に相談しながらローカライズ・カルチャライズを進めています。」
海外では日本と文化や仕組みが異なり、そのために色々と苦労することがある。米国進出に際し、様々な経験をした山田氏は1つ、後に続くであろう人々へメッセージを発した。
山田:「米国進出に際しては、様々な方から「米国ではこうやるべき」「こうすれば成功する」といった意見をいただきました。どれも大切なことだと思いますが、別の側面から見れば、それらは“セオリー”と言えるもの。セオリーを守りながらビジネスを行うのは、「普通にやる」のと同義であり、それでは「普通ではない」結果は絶対に得られません。セオリーにとらわれず、自分の意思を貫き通した野茂選手のように、メルカリも目に見える結果を出すことで、様々な常識や既成概念をひっくり返せればと考えています。」