アークヒルズに始まり、六本木ヒルズや表参道ヒルズなど、東京を代表する街づくりを手がけてきた森ビル株式会社。そんな森ビルが、つぎに見据えるエリアが「虎ノ門」だ。
2014年6月に虎ノ門ヒルズ 森タワーが開業。そして2020年6月、虎ノ門ヒルズ ビジネスタワーがオープンした。オープンに先駆け4月に開設したのが、このタワーを象徴する「ARCH(アーチ)」だ。ワンフロア約3,800㎡を使用した同施設は、大企業で事業改革や新規事業創出をミッションとする組織に特化したインキュベーションセンターである。
森ビルの再開発で、虎ノ門はどのような街に進化するのか。再開発プロジェクトの責任者である北川清氏と、実働部隊として施設の開業をけん引した飛松健太郎氏に話を聞いた。
じつはこの二人、リーマンショック後の六本木ヒルズに新進気鋭のスタートアップを誘致した立役者だという。六本木をITスタートアップが集積する街にアップデートした経験が、いかに虎ノ門の再開発や「ARCH」に活かされているのか? 森ビルならではの都市づくり哲学に迫る。
取材・文:笹林司 写真:玉村敬太
(※本取材は東京都の緊急事態宣言前に行われました)
「ビルじゃなくて街を売れ」。スタートアップの入居が六本木という街を変えた
HIP編集部(以下、HIP):「ARCH」のキーマンである北川さんと飛松さんは、2008年9月のリーマンショック後、メルカリやUUUMといった新進気鋭のスタートアップを六本木ヒルズに誘致した立役者でもあるとうかがいました。まず、当時のお話しを聞かせていただけますか。
北川清氏(以下、北川):リーマンブラザーズの東京支社は、まさに六本木ヒルズに入居していましたね。そもそもリーマンショックが起こる前から、楽天やヤフーといった大手企業の事業規模拡大にともなう移転が決まっていたこともあり、営業体制の強化は必須でした。
じつは、私はそれまで、アークヒルズ 仙石山森タワーの再開発プロジェクトに携わっていました。20年以上「開発畑」にいて営業の経験はなかったのですが、2009年1月に営業本部のオフィス事業部へ異動し、飛松の上司になったのです。
飛松健太郎氏(以下、飛松):オフィス事業部のおもなミッションは、森ビルの所有するビルに入居してくださる企業を探す「オフィスリーシング」。企業と数年間関係を築き、数年に一度のご移転のタイミングでお話を進めるケースと、仲介会社などを通じてお問い合わせをいただくケースがあります。
ですが2008年4月に中途入社した私は、企業との長期にわたる関係構築や仲介会社とのネットワークもありません。そんななかで、少しでも早く結果を出さなければいけないと模索し、少し変わった営業スタイルをとっていました。仲介会社とは異なる、独自のルートで新しいジャンルの企業を呼び込もうとしていたのです。
HIP:それはなぜですか?
飛松:2003年に六本木ヒルズがオープンした当時、時代の寵児である数々のIT企業が、六本木という街を巻き込んでムーブメントを起こしていました。せっかく森ビルに入社したのだから、自分もこれからの時代をつくる新しい企業を誘致して、もう一度あのうねりを起こしたいと思っていたからです。
とはいえ「王道」ではないやり方でしたから、最初は苦労しましたね。しかし異動してきた北川はずっと都市開発に携わっていた人。「営業はこうするもの」という固定概念がなかったので、「面白そうだからやってみろ」と背中を押してくれました。
北川が異動してきたときの最初の言葉をいまでも覚えています。「ビルじゃなくて街を売れ」。天井高や空調システムなど、ビルのスペックをアピールする営業スタイルに慣れていた営業マンにとっては衝撃的でした。
北川:「パンフレットを持たず、手ぶらで行け」とも言いましたね(笑)。なぜ六本木ヒルズには森美術館やアカデミーヒルズがあるのか。なぜアークヒルズにはコンサートホールがあるのか。それは、森ビルがただビルを建設して売るだけのデベロッパーではなく、ビルを含めた「街そのもの」をつくろうとしているからです。
正直、ビルのスペックだけを真似てつくることはできるでしょう。それよりは、森ビル独自のビジョンを押し出し、何より開発担当者がそのくらい高い視座で街づくりに関わっていることをアピールすべきです。
HIP:長年、都市開発に携わっていた北川さんならではのやり方ですね。
飛松:こういった森ビルの「ビジョン」を面白いと思ってくれたのが、ヤフーの経営戦略室で室長を務めていた故・佐藤完さんです。佐藤さんは当時ヤフーを離れていましたが、「六本木ヒルズを、もう一度スタートアップが憧れる場所にしたい」と伝えました。
そして佐藤さんから、日本のIT業界の興亡史やスタートアップ業界の現状を一から教えていただくと同時に、成長が期待できるスタートアップや経営者もご紹介いただきました。当時、誕生したばかりだったFacebook Japanでカントリーグロースマネジャーを務めていた児玉太郎さんとの出会いも、そのひとつです。
HIP:その後、グリー、メルカリ、グノシー、UUUMなど、さまざまなスタートアップが六本木ヒルズに入居を決めました。入居の決め手になったものは何だったのでしょうか?
飛松:森ビルが描くビジョンに共感していただけたことは大きな動機になったと思います。スタートアップの経営者は、会社を成長させるだけでなく「事業を通じて社会課題を解決したい」「社会にインパクトを残したい」という大きいビジョンを持っています。そして我々にも、ヒルズというブランドを通じて街をつくり、育むという大きな夢がある。「つぎの時代の寵児を探しています」と語ることで、「我こそは」というスタートアップが手を挙げてくださいました。
とくに印象に残っているのが、モバイルゲームの先駆けとなったグリーです。彼らは、六本木ヒルズに入居した直後から急成長を遂げ、開発するモバイルゲームは社会現象になりました。電車で乗客が『釣り★スタ』で遊んでいる風景を見て、たった1社のリーシングに関わっただけなのに、世の中が変わる瞬間に立ち合えたような充実感がありました。
また、それまではいかにも外資系らしいファッションをしたビジネスパーソンが目立っていたのですが、スタートアップが入居し始めると、Tシャツやジーンズをまとったラフなファッションの人が増えていきました。スタートアップの入居が、六本木という街自体の雰囲気も変えたのです。
ビルを建てるだけでは意味がない。虎ノ門という街に必要なものとは?
HIP:「街そのものをつくる」という六本木ヒルズの経験が、どのように虎ノ門の再開発や「ARCH」につながっていくのでしょうか? まずは「ARCH」誕生の経緯を教えてください。
北川:2013年7月、私はオフィス事業部から開発へと戻り、虎ノ門エリアの再開発に携わることになりました。虎ノ門ヒルズ ビジネスタワーや「ARCH」の基本計画をつくり始めたのもその頃です。
先ほども申し上げたように、森ビルは単にビルを建設するだけではなく、街そのものをつくり、育んできました。では、虎ノ門ではどういった街づくりをするべきなのか。そこを考えるところから始めよう、と。
飛松:「虎ノ門という街に必要な機能は何か」というミッションを北川から与えられ、各部署から私と同世代の社員が集められました。とはいえ、みんな兼務で忙しい。ランチミーティングで侃々諤々の議論を交わしたことを覚えています。
HIP:その結果、どういった答えが導き出されたのでしょうか。
飛松:森ビルは、アークヒルズを手始めに、六本木ヒルズ、表参道ヒルズなど、その地域の特性を活かした街づくりを行ってきました。ならば虎ノ門も、「虎ノ門ならでは」の特性を活かすべきでしょう。
虎ノ門は、東京や品川など大企業が多く存在するエリアと、渋谷や六本木などスタートアップが集まる場所の中間にある。さらに、官公庁が集まる霞ヶ関とも近いですよね。ならば、大企業とスタートアップが混ざり合い、行政と連携しながらイノベーションを起こす街にできるのではないかと考えました。
一口にイノベーションといっても、渋谷・六本木エリアが得意とするIT、アプリ系ではなく、AIやIoT、ロボティクスといった新産業創出のカギとなるイノベーションにフォーカスする。それを象徴する機能性施設として、「ARCH」の構想が誕生したのです。