DTPやデザインに関わる人なら、世界中の誰もが知っている株式会社モリサワ。とくに国内では、「モリサワフォント」などを提供するデファクトスタンダードのフォントベンダーとして圧倒的な存在感を示し、文字を通じて社会に貢献してきた。
2024年に創立100周年を迎える同社。大きな節目に向けて「文字の可能性を探求する」というミッションを掲げている。そのキーマンが、株式会社ZeBrandの CEO、菊池諒氏だ。
ZeBrandはモリサワ発のスタートアップ。菊池氏はもともとモリサワのイントレプレナー(社内起業家)として新規事業を推進し、フォントと並ぶ事業の柱をつくろうと奮闘してきた。2019年にはモリサワからスピンオフ。本社から離れ、自由な立場を生かして順調に事業を拡大している。
スタート時からニューヨークを主戦場とし、世界的なイノベーションを起こそうとしている菊池氏。グローバルで戦うためのビジョンと心構え、そしてZeBrandのサービスを通じて実現したい未来についてうかがった。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 撮影:玉村敬太
Z世代のスタートアップにブランディングの門戸を開く
HIP編集部(以下、HIP):まずはZeBrandが提供しているサービスについてお聞かせください。
菊池諒氏(以下、菊池):主にアメリカのスタートアップ向けに、ブランド構築に必要なブランディングキットをオートメーションで提供するプラットフォームを展開しています。
ウェブサイトでいくつかの簡単な質問に答えるだけで、独自のアルゴリズムと人工知能が各企業の情報やキャラクターを解析します。その企業のミッションやコアバリューに合うブランドストラテジーやストーリーを構築し、カラーやタイポグラフィ、イメージまでを一気通貫で生成するのが特徴ですね。
HIP:単にデザイン素材を提供するのではなく、企業が持つビジョンやコンセプト、個性の解像度を上げて、それを共有するためのツールを提供するといったイメージでしょうか。
菊池:そのとおりです。混同されがちですが、デザインとブランディングは別物です。単におしゃれなロゴマークをつくることは、私はブランディングだと思いません。企業やチームのビジョンにフォーカスして、クリエイティブやコミュニケーションに落とし込んでいくのがブランディングであると考えています。
HIP:主なターゲットは10名程度の規模、かつZ世代のスタートアップということですが、その理由はなぜでしょうか?
菊池:とくにアメリカのZ世代の働き方や価値観は、いまの日本の常識とはかなり異なっています。終身雇用がありえないのはもちろん、ひとつの企業にとどまらない人が半数以上というデータもあります。
企業に属さず、フリーランス同士でチームを組んで、プロジェクト単位で仕事をするという働き方も増えているのですが、そういった新しい動きに対応したブランディングがいま求められています。
また、社会に対する熱い思いや、優れた技術を持っているのに、それを言語化、ビジュアライズできていないスタートアップも多くあります。とくにテック系企業には、クリエイティブな仕事に対して敬意をはらいつつも苦手意識があるという方も多いです。
そもそもスタートアップは、時間や資金に余裕がなく、社内にデザイナーやブランディングの専門家がいないことも多いため、なかなかそこまで手が回りません。そうした課題を解決し、志のある企業の成長をしっかりサポートしたいという思いがあり、事業に臨んでいます。
HIP:たしかに、創業の初期段階でメンバー全員が明確なビジョンを共有できていれば、強いチームになりそうです。
菊池:はい。ブランディングというと、社外に向けたアウターブランディングの印象が強いですが、ZeBrandでは、社内メンバーへのイメージ共有、つまりインナーブランディングも重視しています。
立ち上げ段階の初期からビジョンやバリューがしっかりと固まっていて、それをメンバー全員が理解している。そういうチームはやはり強い。いろんなスタートアップを見ていてもそう感じますし、なにより私たち自身が、モリサワの新規事業チームとして発足した当初からビジョンとバリューを共有し合うことで、いくつもの厳しい局面を乗り越えられました。それもあって、スタートアップにおけるブランディングを支援したいと考えるようになりました。
HIP:無料のスタンダードプランと有料のプレミアムプランがありますが、どんな違いがありますか?
菊池:無料プランでは自社のブランドに合ったデザインエレメントの作成、編集ならびにブランドストラテジー構築に必要なフレームワークへの一部が含まれています。
それに対し、有料プランではアルゴリズムと人工知能に基づいて、自動的に生成されるブランドのアセットを実際にダウンロードしたり、ブランドストラテジー構築に必要なすべてのフレームワークにアクセスしたりできます。また、ブランド戦略構築に特化した「ブランドストラテジスト」によるコーチセッションを受けることもできます。
日本ではあまり馴染みがありませんが、海外ではブランド構築の戦略を描くブランドストラテジストという専門職が確立されています。ZeBrandではたしかな実績を持つブランドストラテジストをアサインし、スタートアップの最初のビジョンやコアバリューを決めるディレクションを手の届きやすい価格で提供しています。また、2021年2月からは、ストラテジーからアセットマネジメントまで一気通貫した、おそらく世界初となるブランディングのサブスクリプションSaaSサービスをスタートしました。
HIP:ブランディングはそう何度も行うものではないような気もしますが、サブスクで継続利用するメリットは何ですか?
菊池:スタートアップでは事業や組織の成長過程により、さまざまな変化が生じます。そのたびに自分たちでブランドを定義し直すのは大変ですし、ブランディングエージェンシーに依頼すると相当な期間とコストがかかります。
社内で常に自社のありたい姿を見つめ、方針転換をしたい際に、正しい方法で進められるフレームワークを私たちは提供したいと思っています。そのため、サブスクリプションという形態をとることで、より彼らのフェーズやシチュエーションに寄り添ったブランディングを提供することができると考えています。
既存のブランディングの方法論を超えた新たな概念として、このコンセプトを普及させていきたいですね。
常識ではありえない成長率を実現するために、イノベーションが必要だった
HIP:菊池さんは2008年に新卒でモリサワに入社し、2017年にZeBrandの前身となるイノベーション創出部門「MORISAWA BRAND NEW Lab」を設立されています。その経緯を教えていただけますか?
菊池:MORISAWA BRAND NEW Labを設立したきっかけは、モリサワの2024年の創立100周年に向けて「イノベーティブな企業文化を醸成する」という目標を掲げたことです。これは、「文字を通じて社会に貢献する」というモリサワの社是のもと、業界の枠や慣習に捉われず、文字の新たな価値を社会に提供していきたい森澤彰彦社長の願いでもありました。
その頃、業界内のフォントベンダーだけではなく、GoogleやAdobeといった別の業界の大企業がフォントを提供しはじめていました。
そのため、文字文化の継承と発展に向け、文字の可能性を探究する使命を持つモリサワは、「フォントの会社」ではなく「文字の会社」である、という原点に立ち返り、フォントに関する業界内での発展だけではなく、新たな技術や領域をも視野に入れ、社会に貢献していく必要があると強く認識しはじめたのです。
こうしたなかで「文字を通じて社会に貢献する」というビジョンを目指すのであれば、これまでのモリサワの常識では考えられない視点からの新たな事業創出、イノベーションが必要でした。そこで、社長や経営陣との話し合いのなかで「新規事業を立ち上げ、モリサワの新しい柱をつくっていきたい」と提案しました。