フォントオタクが世界的イノベーターを志すまで
HIP:お話を聞くと、菊池さんは社長とかなり距離感が近かったようですね。若手の社員が、どうやって経営トップと直に話ができる関係性を築いたのでしょうか?
菊池:社員を大切にする会社ということもあり、日頃から経営陣が声をかけてくれることが多くありました。また、手前味噌ですが、入社1年目から好成績を収めていたり、電子書籍アプリ業界やウェブフォント業界で勢力図を塗り替えるほどシェアを拡大させたり、といった実績を残していたため、毎年欠かすことなく経営陣より表彰を受けることができました。
そんな経緯もあり、2013年には社長から「グローバル戦略に向け、留学制度をつくったから挑戦してほしい」と言われ、アメリカの名門美術大学Rhode Island School of Design(RISD)で1年間、デザインやブランディングについて学ぶ機会をいただいたんです。経営陣はそのときすでにグローバル化を見据えていて、そのためのネットワーク形成やきっかけづくりを期待して、声をかけてくれたのだと思います。
HIP:留学で、菊池さん自身のマインドセットが変わったところもありますか?
菊池:180度変わりましたね。もともとはフォントオタクだったことからモリサワに入社しているので、このまま定年まで好きな仕事をして、ごく普通の会社員として楽しく過ごしていくものだと思っていました。
それに、そもそも英語がまったく話せなかったので、海外で仕事をするなんて夢にも思っていませんでした。ちなみに社長から留学の打診を受けたその日、その足で英会話教室に入会しましたよ(笑)。
実際に1年間留学をしてみて、ソーシャルインパクトを常に意識する環境下においてマインドセットが180度変わったと同時に、「自分自身、このままではいけない」と本気で思いました。
いまのモリサワのフォント事業をそのまま海外展開するのではなく、本当の意味で文字を通じて社会に貢献するためにも、新たに「文字」を定義することからはじめなければいけないと痛感しました。
HIP:その思いが、社長への提案につながったわけですね。
菊池:はい。また、既知の日本のフォント業界だけではなく、ブランディングやグラフィックデザインの本場でもあるニューヨークをリサーチすることで、新たな「文字」の可能性を見つけられると考えました。
そのため、留学後さらに2か月の時間をいただき、ニューヨークを拠点とし、徹底的に文字に関するデザインやブランディング市場のリサーチをしました。この際、現地で活躍しているRISD留学時代の友人たちにも力を貸してもらいました。
このリサーチを経たレポートを社長に提出すると同時に新規事業組織の立ち上げの提案を行ったところ、さっそく動くように命じられました。そこで立ち上がったのが、社長直轄のイノベーション創出部門「MORISAWA BRAND NEW Lab」です。
HIP:経営陣からは、当初どのくらいの数字目標を求められていたのでしょうか。
菊池:まずは3年間で億単位の売上が目標だといわれました。
部門設立当初はフォントに関連する新規事業を3つほど展開していました。フォントに関する新しいサービスで目標売上を達成することは、既存事業のノウハウも使えるのでじつはそれほど難しくありません。実際展開していた新規事業はどれもそれなりにいい感じで成長していました。
ただ、それを「MORISAWA BRAND NEW Lab」のゴールにしても、モリサワの本質的なイノベーション創出にはなりえません。そこで目標を10倍にさせてもらえないかと、こちらから経営陣に逆提案しました。
HIP:あえて、目標を大幅に上げてしまったのですね。
菊池:はい(笑)。でもそれこそがイノベーション創出の唯一のセオリーだと思っています。120%の売上増を目指すなら既存事業でいい。失敗の可能性もあるけれど、いっぽうで4,000%以上の成長の可能性も秘めているのが新規事業のいいところです。
ゴールを10倍の数字にすることで、中途半端で「置きにいく」ような事業アイデアは採用されなくなりますし、まだ誰も考えてないような新しいサービスをつくりだす必然性が生まれます。それこそがイノベーションへのアプローチだと考えています。
HIP:そのアプローチが、ブランディング事業だったということですね。
菊池:そうです。既存事業とは直接バッティングしないというのもありますが、人の想いを伝えるものを「文字」と呼ぶならば、「文字を通じて社会に貢献する」というモリサワの理念にも通じていると考えました。
目標を定めたタイミングで組織形態も見直し、社内新規事業というポジションから、ZeBrandというスタートアップとして独立することになりました。スピンオフによって自由度とスピード感を高めるとともに、この事業をやりきる体制と覚悟が固まったと思います。
HIP:社内からの反応はいかがでしたか。
菊池:さまざまでしたね。国内フォント市場で圧倒的な存在感を有する企業だったので、なんでわざわざそういうことをするのか、という視線を感じたのも正直なところです。でも、本気で新たな視点から文字の可能性を探究している社員や若手社員たちは共感してくれたり、味方になってくれたりしました。
ただ、やってみてわかったのですが、これまで会社が注力してきた分野とシナジーの見込める領域を新規事業として取り組むことで、本社とも良い関係で協力し合うことができます。モリサワの場合、当時、グローバル展開を何としてでも成し遂げたかったので、そこで結果を出すことで、少しずつ認められていった気がします。
日本発のスタートアップが、海外に挑戦するために必要なこと
HIP:スタート時点からアメリカ市場にターゲットを定めた理由を教えてください。
菊池:ZeBrandのミッションは、「世界中のあらゆる人がブランディングできる環境を届ける」こと。そのためにはまずブランディングやデザインのリテラシーが国際的にも高いアメリカに受け入れてもらって、そこから世界へ展開していくのが最短の道だと考えました。
仮に、日本で展開して100億円の市場を築いたとしても、そこからアメリカに進出する際にはそこで得た売上どころではない投資が必要になってしまいます。
それならば、最初からアメリカ、それもブランディングやデザインリテラシーの高いニューヨークをベンチマークにしてサービスを磨き上げたほうが効率的です。アメリカで認められれば、本当に世界を変えられるのではないかと思ったのです。
HIP:ただ、相応にハードルも高いわけですよね。ニューヨークで事業を展開する際に、重要なポイントはありますか?
菊池:大きく3つあると思います。まず、「徹底的にクオリティーにこだわる」こと。世界最高峰のデザイン&ブランディングリテラシーが醸成されているニューヨークの基準に合わせる必要があります。その点は、美大のハーバードと呼ばれるRISDに留学していた経験と、そこで築いたネットワークが役立ちました。
私自身のデザインスキルは知れたものですが、同級生たちがニューヨークを拠点に活躍しているため、彼らの力を借りています。立ち上げのフェーズより、Google傘下のシンクタンク、Jigsawのブランディングを担当しているRISDの卒業生などにもジョインしてもらっています。
次に、「チームづくり」。社内、社外を含め、グローバル基準で考えられるメンバーを集めることです。さまざまな人種や文化を受け入れられる多様性はもちろん、世界中に溢れる情報のなかから本当に必要なものだけをスクリーニングしたり、世界各地の時差を考慮してビジネスができるセンスも重要です。採用の際は、これらの点を重視し、ビジョンやバリューに共感し、心から信頼できるメンバーのみを迎え入れています。
そして、最後が「ビジョンを語り続ける」こと。海外では、自分たちが何者なのか、なにを実現したいのかを明確に語れないと相手にしてもらえません。特に欧米圏では、アジア人のプレゼンスは必ずしも高いわけではないので、「国籍は関係ない。自分はZeBrandのRyoなんだ!」ということを強く主張していくことでしか、認めてもらうことはできません。
ブランディングを通じて、一人ひとりが自分らしさを発揮できる社会へ
HIP:ZeBrandの事業を通じて、世界をどう変えていきたいですか?
菊池:ブランディングは大企業だけが行うものではありません。ブランディング戦略の構築や施策を実施することも、ブランディングエージェンシーだけが行うものではありません。
ブランディングとは、「認識されたい姿と認識される姿を、よりポジティブに一致させるために行う活動」と定義しており、スタートアップはもちろん、個人も含めて、それぞれが自分らしさを表現し、相手に伝え、お互いに認め合うことができるようにするためのものだと考えています。
そんなブランディングの価値を多くの人に知っていただき、身近なものにしていくことで、本当の意味で多様性を認め合う、優しい世界が実現できると考えています。
それに、世界中の一人ひとりが「自分らしさ」を表現できるようになれば、これまでにない独創的な概念やアイデアがたくさん生まれると思うんです。誰もが気兼ねなく個性を発揮し、ゼロからイチをつくれるような社会。それってすごくないですか?
HIP:ワクワクしますね。それに、菊池さんが前例をつくることで、モリサワ本社の新規事業に対する機運も高まりそうです。自分に続く、新たなイノベーターがモリサワ本社から出てきてほしいと思いますか?
菊池:もちろん。その想いはつねに抱いています。いまはスピンオフして別会社になりましたが、このチャンスを与えてくれたモリサワに対して、いつか必ず恩返しがしたいと思っています。
そのためには、誰もが認めるような、圧倒的な結果が必要です。本社の業績をも上回る数字を残すことで、新規事業に対する機運を高め、後に続くイノベーターたちの道をひらきたいと思います。
そして、ゆくゆくはモリサワに限らず、大企業のなかで新規事業に挑むイントレプレナーの指針となるような、成功事例をつくりたいと考えています。現時点では、日本のイントレプレナーが世界的に成功したケースは思い当たりません。だからこそ挑む価値があるし、絶対に成し遂げたいですね。