1887年、壊れた1台のオルガンの修理から始まった世界的企業がある。修理をした職人の名は山葉寅楠。楽器製造を祖業とする、ヤマハ株式会社の初代社長だ。同社のユニークさは、楽器製造の過程で生まれた技術などを活用し、さまざまな事業展開を行ってきた歴史にあるだろう。バイクメーカーとして知られるヤマハ発動機も、もともとはヤマハの一部門だった。
つねに新規事業を生み出しながらチャレンジを続けてきたヤマハは、世界でもイノベーティブカンパニーとしておなじみ。クラリベイト アナリティクス社による「Top 100 グローバル・イノベーター」にも、2000年代で4回選出されている。
そんな同社で、長年に渡り新規事業プラットフォームの構築に取り組んできたのが畑紀行氏だ。しかし畑氏は「まだまだやれることはあります」と語る。もとより「チャレンジ偏差値」の高い同社が、さらに挑戦する社員を増やすためにたどり着いたノウハウを、社内公募制度「Value Amplifier」から紐解いていく。
取材・文:笹林司 写真:種子貴之
「トップが『やる』と言わなければ、絶対にイノベーションは生まれません」
HIP編集部(以下HIP):ヤマハはイノベーティブな企業として世界的にも知られていますね。
畑紀行氏(以下畑):楽器から始まり、家具やオートバイ、リゾート、半導体、ネットワーク機器など少しユニークな成長をしてきました。途中、経営状況などから大胆な挑戦ができない時期もありましたが、2013年、中田(卓也)の代表取締役社長就任のタイミングで制定された「ヤマハフィロソフィー」がアクセルになっているのだと思います。
畑:ヤマハは絶えず新規事業を生み出してきましたが、それでもなお、中田は社内のチャレンジ精神に課題を感じていたようです。「茹でガエルにはなるな」という話もつねにしていますね。市場は絶えず動いており、新しいことに挑戦しなくては置いていかれてしまう。
トップが「やる」と言わなければ、絶対にイノベーションは生まれません。「ヤマハフィロソフィー」によって、あらためて「社員みんながチャレンジできる会社になろう」というメッセージが強く打ち出されました。
社員こそ力であり宝。ボトムアップの挑戦を育てる新たな社内公募制度が誕生
HIP:革新には、社員のチャレンジが不可欠だという考え方なのですね。
畑:根底には、「社員こそが力であり宝」という考えがあります。社員一人ひとりが前向きな行動をすれば事業が盛り上がり、事業が盛り上がれば会社が成長する。トップダウンも重要ですが、会社の成長にはボトムアップの挑戦も欠かせません。
そこで2015年に生まれたのが、事業アイデアの社内公募制度「Value Amplifier(バリューアンプリファイヤー)」。ローンチのタイミングで、私がリーダーに就任しました。
HIP:どういった経緯で就任されたのでしょうか?
畑:私は1992年に入社し、2006年からはサウンドネットワーク事業部という部署で新規事業の創出に携わっていました。そこでいくつもの新規事業にチャレンジしました。会議向けのマイクスピーカーやスピーチプライバシーシステムなどは、いまでも事業として残っています。
畑:みなさんご存知のように、新規事業はそう簡単に成功するわけではありません。実証実験は上手くいってもローンチまで至らないものも多く、「やり方を変えないとダメだ」と思い悩んでいました。
そうこうしているうちに「Value Amplifier」が生まれ、当時の上長に招集されるかたちでリーダーを務めることになったのです。選ばれた理由を直接聞いたわけではありませんが、新規事業創出に携わってきた知見や経験を役立てるためと理解しています。
とはいえ、これまでも手を変え品を変え挑戦してきた新規事業のローンチは簡単ではなかったことから、「普通のことをやってもダメだよな」という課題感はありましたね。
ヤマハならではの「Value Amplifier」を支える3つのコンセプトとは?
HIP:現在、多くの企業が新規事業の創出を目的に社内公募制度を導入しています。そのなかで、「Value Amplifier」ならではの特徴やコンセプトは何ですか?
畑:コンセプトは3つあります。まず1つは、「提案者自身が進めるからこそ実現できる」。人は自分が信じられるものにしか執着できませんし、本気のアイデアしか先に進みません。
実際、想いのある人がチームにおらず、進まなかった新規事業を何度も見てきました。ですから、強い気持ちを持った提案者自身が途中ではしごを外されることなく、責任をもって進められる制度にしています。
HIP:では、2つ目は?
畑:「アイデアはつねに成長し続けるもの」です。事務局は、ともすれば応募された時点のアイデアを最高値として捉えてしまいがち。しかし、本当のアイデアとは、そこからさらに成長していくものです。「目のつけどころはいいけれど、手段がいまいち」といったアイデアだったとしても、手段はこれからピボットすればいい。応募時点では、まだスタート時点だと理解するべきです。
最後は「偶発性を取り込める仕組みであるべき」。成功というのは結果論ですから、「たまたま上手くいった」事例も多い。「たまたま」を最初から計画に組み込むことはできませんが、成功の可能性があるものを取りこぼさない仕組みにしました。
原石を取りこぼさないために。選考前に事務局がブラッシュアップをサポート
HIP:具体的には、どのようなプロセスを経て新規事業が生まれるのですか。
畑:社員は社内イントラを通じてエントリーします。最初はみんな、プランを磨くスキルを持っていません。それどころか、ターゲットや顧客価値さえ曖昧なアイデアも多い。それをある程度絞り込んで、選考会の前にブラッシュアップを行います。
ここで先ほどの「偶発性」を取り込めるようにしているんですね。ローンチまでの間にはいくつかのゲートを設定していて、後段に近づくにつれ、どうしてもロジックが求められます。ですが、最初のゲートは後々の「大化け」への期待を込めて「うまく説明できないけれど、成功しそうな雰囲気はある」といったアイデアも通過させます。そうしなければ、お堅いアイデアばかり選ばれてしまい、おもしろくないですから。
畑:「新規事業の創出は限られた人間にしかできない」と思われがちですが、やり方を学べば誰にでもチャンスはある。事務局が手助けすることで、光るアイデアを持っているのに、知識やスキル不足でかたちにできない人に、チャンスを与えることができるのです。
HIP:とはいえ、すべてを採択するのは難しいですよね。最初に絞り込む際の選考基準を教えてください。
畑:重要なのは、アイデアだけでなくビジョン、つまり「どんな世界を実現したいか」という大義名分が軸になっていることです。
ビジョンは新規事業を推し進める燃料になるもの。もちろん、そこには「なぜヤマハがやるべきなのか」という理由が含まれている必要があります。「日本一のラーメン屋をつくりたい」と言われても、それはヤマハがやるべきことではありませんから。
HIP:事務局のブラッシュアップを経たアイデアは、その後どのようなステップを踏むのですか。
畑:半年ごとの選考会αに掛けられて、5件ほどに絞られます。その5件はαステージへと進み、おもには「想定ターゲットがその価値を欲する強度」と「想定ソリューションの確からしさ」に対する検証を行います。100万円の資金でピボットをしまくりながら、「何をやるか」をしっかり決めるわけですね。
さらに6か月後、選考会βでさらにふるいにかけられ、通過したら実動作プロトタイピングとテスト、ビジネス視点の検証を行うβステージに進みます。ここでは10か月で900万円の資金が与えられます。そして最後は事業化の審査。ここを通過して初めて、ローンチに向けて動き始めます。
畑:ステージが進むにつれて審査に役職者が加わり、「ヤマハがやるべき事業か」、「採算の見通しはどうか」など、より経営に近い視点で判断されるようになります。事業化はもちろんコーポレートの判断。経営層を説得するだけのエビデンスが重要です。最初は「想い」でも進めますが、最後は「証拠」が必要なんですね。
HIP:「Value Amplifier」が始動してからこれまでに、どのくらい応募があったのですか。
畑:応募は約500件あり、αステージ以降に進んだのが約50件ですね。そのうち事業化審査に通ったのが8件、ローンチできたのは5件。応募者の年齢層も比較的まんべんなく、新入社員から定年間近の社員までさまざまです。