東京大学とソフトバンクは2020年、「Beyond AI 研究推進機構」を設立し、新たな産学連携の取り組みをスタートさせた。経済産業省による「CIP制度(Collaborative Innovation Partnership)」を活用し、日本の大学研究機関と大企業がWin-Winの関係を築くことで、「AIの領域で日本発のユニコーン企業を生む」ことも視野に入れているという。
すでにAIの基礎研究に加え、小田急電鉄やAIベンチャーのグリッド社とタッグを組み、デジタルツインを活用してスマートシティの実現を目指す「次世代AI都市シミュレーター」の研究開発をスタートさせるなど、徐々に具体的な研究活動が見えはじめている「Beyond AI研究推進機構」の取り組み。その中枢を担う東京大学 Beyond AI 研究推進機構長の萩谷昌己氏、ソフトバンク株式会社 テクノロジーユニットAI戦略室 企画室 室長の國枝良氏に、取り組みの概要や立ち上げの経緯、課題、今後の展望などをうかがった。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
産学連携からジョイントベンチャーを設立できるCIP制度とは?
HIP編集部(以下、HIP):最初に、「Beyond AI 研究推進機構」が発足した背景を教えていただけますか?
萩谷昌己氏(以下、萩谷):まず、私から大学側の背景をお話しします。東京大学ではこれまでにも、さまざまな企業と産学連携の取り組みを行ってきましたし、東大発のベンチャー企業も数多く輩出してきました。
ただ、それでもアメリカの大学は起業数も投資額も、ケタ違いというのが実情です。そこで、もう少し広い視座や長期的な戦略のもと、組織的に新しい事業を起こしていくような活動が望まれていました。
また、もう一つはリターンです。東大発のベンチャーは多数ありますが、そのリターンが大学側に還元される仕組みにはなっていません。長く価値ある研究を続けていくための資金を得るという意味でも、この点を改善していく必要があったんです。
HIP:今回、そのために経済産業省による産学官連携支援施策「CIP制度(Collaborative Innovation Partnership)」を活用するとのことですが、これはどういったものでしょうか?
萩谷:CIP制度は産学連携事業のなかから、スピーディーにジョイントベンチャーを設立できる仕組みです。これを活用することで、従来の「技術研究組合」制度に比べて、研究開発が終わった段階で速やかに会社を立ち上げ、事業化することが可能になります。
Beyond AI連携事業でもこの制度を使い、次々と新しい会社を起こしていく予定です。そこで生まれた事業化益を大学側も受け取り、その資金によってまた新しい研究や事業につなげていく。こうしたエコシステムを回すことで、大学も企業も一緒に発展していく。そんな構想を描いています。
HIP:しかし、そもそもなぜ東京大学とソフトバンクが組むことになったのでしょうか?
國枝良氏(以下、國枝):もともとは数年前に、東京大学の五神真前総長とソフトバンクグループ代表の孫正義が「AI革命」に対する考えで意気投合し、AIの領域でなにか事業を起こそうとはじめたディスカッションがきっかけです。そのなかで、「AIの領域で日本発のユニコーン企業を生む」ための方法が議論されました。
これを実現するには、AI分野における優れた知見が必要です。そして、その深い知見というのは、やはり大学にあります。実際、東京大学と共同研究を進めるなかで、長年蓄積された学術研究の知見をベースにアドバイスをいただくことで、新しい視点の発見につながっています。
いっぽうで、われわれのような民間企業は、事業のプロとして、そのAIの知をビジネスに活用する役割が求められています。日本における知の最高峰である東京大学と、事業のプロとしてのわれわれが連携することで、これまでにない成果が生み出せるのではないかと考えました。
HIP:東京大学の協力のもと、ソフトバンクの事業として行うという手段もあったかと思いますが、あえてCIP制度の活用を選択された理由はありますか?
國枝:先ほど萩谷先生もおっしゃっていましたが、持続的に新しい事業を生み、ハイレベルな研究を続けていくエコシステムをつくるには、大学側、企業側の双方にとってメリットがある仕組みでなくてはいけません。
今回、活用を予定しているCIP制度は、まさにそのWin-Winの関係性を実現するもの。共同でジョイントベンチャーをつくり、その株式を互いに保有することでリターンを分け合える。それがユニコーン企業にまで成長すれば、さらに大きなリターンを得られるようになります。
ソフトバンク単独の事業として行ってしまうと、大学側に入るのは、研究による知財のライセンスフィーくらいになってしまいます。それでは、とてもWin-Winの関係とは言えませんし、持続的なサイクルにはなりえませんから。
企業目線だけだと既存のAI活用、目先の利益にとらわれがち
HIP:なるほどです。Beyond AI研究推進機構で行われているプロジェクトについて、詳しく教えていただけますでしょうか?
萩谷:Beyond AI 研究推進機構では、「中長期研究」と「ハイサイクル研究」の2種類に分けて研究を推進しています。
萩谷:まず中長期研究ですが、これは基礎研究という位置付けで、現在のAI技術をさらに発展させていくことを目標に、現在11のプロジェクトを進めています。また、「AI×物理学」、「AI×脳科学」など、さまざまな分野とAIを組み合わせることで、まったく新しい学術分野を創造する「ハイブリッドAI」も重点的テーマの一つですね。
ほかにも、AIと社会との関わり方についての研究も進めていきます。ここでは、AIによる公平性や多様性の実現といったポジティブな側面だけでなく、AIがもたらす格差といった負の側面にもフォーカスを当てます。こうした、さまざまな領域を長期的な視点で研究していく予定です。
いっぽうのハイサイクル研究ですが、こちらは直接的にCIPにつながる共同研究を行っていきます。東京大学で行われている研究のなかから、事業化につなげられそうなものをソフトバンクとともに吟味し、新しいビジネスを起こしていく。
いまのところは既存の研究が対象になっていますが、いずれは中長期研究のなかから新しい学術分野を生み出し、それに関連した新しい産業応用も期待できると思います。
HIP:中長期研究は直接的な利益にはつながりませんが、民間企業のソフトバンクがそこに参画する意義は何でしょうか?
國枝:いまのAI技術では、機械学習の分野において、良い教師データがないと良いアルゴリズムを育てられないというケースが多くありますが、そういったデータがなかなか手に入らないという課題もあり、できることが限られています。
そのため、やはりAIそのものを進化させていく必要があり、その意味でも中長期研究には大きな意義があります。Beyond AI(AIを超えていく)という名称にも、そんな思いが込められているんです。
現時点では10年間で最大200億円という予算を見込んでいますが、なかには10年で終わらない研究もあるでしょう。10年後、20年後の研究資金を生み出し続けるためにも、短期間で事業化を目指すハイサイクル研究と両輪で進めていくことが大事です。
HIP:なるほど。かなり先の未来まで見据えた取り組みなんですね。これが実現すれば、日本のAI領域におけるイノベーションが加速しそうです。
國枝:われわれが目指しているのは「AI革命」です。ビジネス目線で考えると、一般的にはどうしても目先のサービスや利益に意識が向いてしまいがちですが、Beyond AIの取り組みについては、おっしゃるとおり、かなり先々を見据えていますね。
HIP:ちなみに、「ハイサイクル研究」のほうでは、具体的にどんなプロジェクトが動いているのでしょうか?
國枝:現時点でお話できるのは、東京大学とソフトバンクのほか、小田急電鉄、AIベンチャーのグリッド社の4者で行う「次世代AI都市シミュレーター」というスマートシティプロジェクトです。
ほかにも「医療・ヘルスケア」領域、あとはソフトバンクが以前から注力している「MaaS」領域などです。まずはこのあたりの領域で、ハイサイクル研究につながりそうなものを吟味していきたいと考えています。