東日本電信電話株式会社(以下、NTT東日本)が、株式会社ブレインスリープと協業で「スリープテック事業」に取り組んでいる。
健康経営を掲げる企業に対し、従業員の睡眠の質を可視化、改善するソリューションを提供するほか、これから睡眠事業に乗り出す企業へのコンサルティングも行っていくという。
日本のインフラを支える通信大手が、なぜ「睡眠」なのか? そこにどんな可能性や課題を見出しているのか? また、未知の領域に踏み込むにあたり、どのように事業をデザインしていったのか? 事業のキーマンであるNTT東日本プロダクトサービス部の長谷部豊氏、尾形哲平氏をお迎えし、アイデアの発想から事業化までの成り立ちをうかがった。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 写真:玉村敬太
「睡眠偏差値」サービスを、インフラで培ったデータ分析でサポート
HIP編集部(以下、HIP):NTT東日本は2021年3月、睡眠の質を高めるサービスを提供するブレインスリープ社と共同で、「スリープテック」に関する新規事業を進めることを発表しました。現在、どのような事業に取り組んでいるのでしょうか?
尾形哲平氏(以下、尾形):睡眠衛生にまつわる豊富な知見を持つブレインスリープさんとパートナーシップを結び、睡眠の質を改善するためのプログラムを提供しています。
また、これから睡眠事業に参画する企業へのコンサルティングも行っていく予定です。たとえば、睡眠のデータをとるデバイスの選定、データ通信方式、集めたデータの可視化や分析の支援などがメインですね。
HIP:すでに具体的なサービスやプロダクトもあるのでしょうか?
長谷部豊氏(以下、長谷部):ブレインスリープさんとともに「睡眠偏差値forBiz」というサービスを提供しています。
健康経営に取り組む企業向けのサービスで、従業員の睡眠の質を可視化したり、睡眠障害のリスクを判定したりすることができます。昨年9月のスタート以来、50社ほどに導入されていて、弊社はサービス基盤の運用や、企業さまのご要望に応じてデータの分析、睡眠改善プログラムなどを実施させていただいています。
HIP:睡眠を可視化するだけでなく、改善のためのソリューションもセットになっているわけですね。改善プログラムは具体的にどんなものがありますか?
尾形:好評だったのは8週間の「メディテーション(瞑想)」プログラムですね。座って呼吸に意識を集中し、頭になにか浮かんだらすぐに思考を手放す。これを毎朝行い、週一度は講師がオンラインで指導してくれます。
ある大企業の従業員に体験したもらったところ、睡眠偏差値が大きく向上しました。じつは私自身もやってみたのですが、日中の眠気がなくなり、頭がスッキリと冴えた状態で仕事ができるようになりましたね。日中にしっかり働き、夜はシャットダウンするいい流れができたと感じています。
長谷部:メディテーション以外にも、たとえばフィットネスの事業者とコラボした「快眠に効くストレッチ」のプログラムや、エステー株式会社さんと共同で「安眠効果を高める香り」を使ったプログラムなども検討しているところです。
HIP:睡眠の質には食事やお風呂、そのほかの生活習慣など、さまざまな要素が絡んでいます。それだけに、幅広い分野で改善プログラムを提供できそうですね。
尾形:そうなんです。たとえばランチを食べた直後に、血糖値が急激に上がって眠くなる人がいます。食べもの自体を変えたり、食べる速度を変えることで眠気を抑えることができると言われていますが、それもエビデンスが十分ではありません。ですから現在、幅広い分野の企業と組んで、さまざまな事象と睡眠の相関関係を分析しています。
HIP:HIPでは以前、帝人の睡眠事業を取材しました。こうした類似サービスとの差別化は意識していますか?
長谷部:「睡眠の可視化」というと、これまでは就寝中のバイタルデータをもとに分析を行うものが多かったのですが、睡眠偏差値はそうした定量的なデータだけでなく、一人ひとりへの「問診」など、定性的なデータにも基づいています。
これはお医者さんが睡眠障害などを判定するときの方法と同じで、現段階では差別化された「強み」ではあります。ただ、競合他社と争うのではなく、一緒に手を取り合ってこの市場を盛り上げていきたいというスタンスなので、睡眠事業に取り組む企業とも、どんどんコラボしていけたらと思っています。
自分たちの悩みから発想して行き着いたのが「睡眠」という課題だった
HIP:そもそもなぜ、NTT東日本がスリープテックの新規事業に取り組むことになったのでしょうか?
尾形:2019年に社内の新規事業を促進するための「イントレプレナープログラム」が発足し、私を含む4名のメンバーで応募したのがきっかけですね。アイデアが採択されれば、本業の15〜20%のリソースと100万円の予算を使って新規事業にチャレンジできるというものでした。
HIP:そこで「睡眠」に着目したのはなぜですか?
尾形:まずは私たち自身の悩みや課題から発想したほうがいいだろうと考えたときに、行き着いたのが「仮眠で仕事のパフォーマンスを上げる」という方向性でした。
当時、働き方改革で残業が厳しく制限され、それなのにタスクは減らない。効率化にも限界がある。これはきっと自分たちだけでなく、多くの会社員が抱えている悩みだろうと思いました。
そこで、仮眠によって脳を「ゾーン状態」に導くことで、パフォーマンスを最大化する。そんなイメージで、仮眠を入り口に睡眠事業へと入っていきました。
とはいえ、社内には睡眠の知見などもちろんありませんから、パートナーを探すためにコンセプト資料をひたすら各所にばら撒いたんです。結果、ベストセラーにもなった『スタンフォード式 最高の睡眠』の著者である西野精治さんが代表を務めるブレインスリープさんと出会うことができたという経緯ですね。
長谷部:現在の日本の働き方改革は効率化にばかり目を向けがちですが、それだけで生産性を上げるのは無理があるんですよね。5%、10%の無駄をギリギリ詰めていくようなやり方には限界がありますし、従業員も疲弊してしまう。
そこで、効率化ではなく睡眠の質の改善によって社員一人ひとりにクリエイティビティーを発揮してもらい、短い時間でも高いアウトプットを出せるようにする。それができれば、停滞している働き方改革のブレイクスルーにもつながるのではないかと考えました。
HIP:お二人もこの事業に携わるようになり、睡眠の質を意識するようになったと思います。実際、日常生活や仕事でのパフォーマンスは向上しましたか?
長谷部:確実に上がったと思います。特に大きかったのは、自分にとって「適正な睡眠」がわかったことですね。
私は基本的に短時間睡眠で、平日は平均4時間程度しか寝ていませんでした。ただ、休日はそのぶんを「取り戻す」ように8〜9時間も爆睡しまうことが多かったんです。
しかし、睡眠について学び改善していくうちに、私はそもそもショートスリーパーで、質さえよければ4時間の睡眠でも問題ないことがわかりました。
つまり、休日に「寝だめ」をする必要はなかったんです。現在は、平日も休日も睡眠のサイクルを変えず一定に保つことで、以前よりも日中にしっかりと活動できるようになっています。
尾形:ちなみに、短時間睡眠でも問題なく活動できるショートスリーパーは、遺伝的に数%しか存在しないようです。それなのに、1万人に行った問診データでは、およそ20%の人が自分のことをショートスリーパーだと思っている。
要は、ただ短時間睡眠であることをショートスリーパーと勘違いしているんです。大丈夫だと思い込んでいるだけで、実際は睡眠負債が溜まっているんですよ。
……そういう私も、まさに自分をショートスリーパーだと勘違いしていたタイプで、実際はそうではなかった。ですから、まずはそこを諦めました。いくら短時間睡眠で頑張ったって、自分の場合はパフォーマンスが落ちるだけ。だったら、ちゃんと寝るようにしようと。