INTERVIEW
大阪の町工場から生まれた「空気の糸」が、世界を変えるかもしれない──圓井繊維機械
圓井仁志(圓井繊維機械・新規事業部長)、圓井良(圓井繊維機械・代表取締役社長)

INFORMATION

2024.03.29
写真:吉松伸太郎 文:野口理恵 編集:CINRA

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圓井良
(以下、良)

POM繊維の研究を始めたきっかけは、10年以上前にまでさかのぼります。当時通っていた京都工芸繊維大学の大学院で知り合った梅村さん(梅村俊和、株式会社プレジール社長)との会話がきっかけでした。本格的に参入しようと経産省の助成金を申請したのは7、8年前。事業が採択されてそれを資金にデモ機をつくり、研究をスタートさせました。

スタート当時、研究チームには圓井繊維機械、プレジール、京都工芸繊維大学が参加していました。2021年には三菱ガス化学がPOMの原料となるメタノール(CH3OH)を、二酸化炭素(CO2)と水素(H2)から製造することに成功しています。CO2とH2を原料としているので、これは「空気からつくる糸」と呼んでもいいんじゃないかと、そんな話をしていたのを覚えていますね。

現在社長を務める圓井良さん。もともとミシンを製造していた圓井繊維機械の領域をニット製品製造機械やメディカル分野にまで発展させた
仁志
原料は、肥料などから浮散するバイオメタンガスからも取れます。CO2由来、かつバイオ由来というサステブルな原料からつくることができるこの糸は、まさに「超サステナブル素材」といえると思っています。
HIP
研究開発は順調に進んだのでしょうか。
仁志

地道に研究を進めて実験を繰り返せば、ある程度のものはできているものです。しかし、率直に言えば世間からはまったく注目されていませんでした。

どうすれば知ってもらえるかを考えてもまったく思いつかず。ただ、自分たちの技術は絶対に面白いと思っていたので、試しにインターネットで宣伝をしてみたり、展示会などに出してみたりしたところ、「面白い」と言ってくださる方が出てきました。

ただ、当時は「資金調達」ということばも知らず、そもそもビジネスのやり方がまったくわからなかった。一方で、研究のための資金も必要です。どうすれば効率よく、かつ疲弊せずにできるのかを考えているときに見つけたのが「始動Next Innovator」でした。

住宅地に建つ圓井繊維機械の社屋ビル。「家庭用・工業用ミシン」を謳っていたこの会社がいま、グローバルにその技術力を問う

いままでを「正解」にするマインドセット

HIP
社長が10年にわたり研究してきたことを、仁志さんがさらに広げていこうとされたわけですね。「始動Next Innovator」に挑戦されることを聞いて、社長はどのように思いましたか。
「どんどん挑戦しろ!」と言いましたね。勉強できるし、タダでシリコンバレーに行けるならって(笑)。
仁志
応募した当時は、シリコンバレーに行くメンバーに残れるかどうかなんてわかりませんでしたけどね(笑)。プログラムを通じた指導のなかで、いろいろ勉強させてもらおうと思っていました。しかし、実際に参加して周りを見渡すと、ビジネスのことがわかっていないのはぼくくらいで。
HIP
「資金調達」なんてものも知らない、まさにゼロからのスタートだったのですね。
仁志

「始動」の国内プログラムには約150人が参加していましたが、同期のメンバーは「MBAをもってます」「大学院出てます」みたいな人たちばかり。すでに3,000万円を調達した経験をもつ女性がいたり、プログラム参加前にはVCにいたという人もいました。一方のぼくは「VCって何?」みたいな状態でしたから(笑)。

そんななかでも、「へえ、CO2から糸がつくれるんだ」と興味をもってくれた同期メンバーやメンターがいたのには助けられました。彼らはビジネスとしての進め方のアドバイスをしてくれたほか、「ファイナンスを学びたいなら、この本を読め!」などと、いろいろ教わりました。

筒状の繊維を編むための機械。通常はニットなどに使用する機械だが、圓井繊維機械では金属繊維も編むことができる
HIP
メンターからは、どんな指導を受けたのでしょうか。
仁志

繊維開発は本来、膨大な資金とアセットをもとに長期的な研究開発を必要とする、いわばディープテック。「なのに自社体力で頑張ろうとしているなんて!」と言われたのを覚えています。そもそも研究開発とはものすごくお金のかかることなんだ、というところから教わったようなものです(笑)。

わからないことはつど訊ね、本を読み勉強することで知識がついてくると、さらに頭の中に疑問が出てくる。そうしてまた訊ねるなかで「なるほど、こうやってベンチャー企業はできるのか」と“仕組み”がわかってきました。

資金調達ひとつとっても、領域がディープテックなのか、あるいはプロダクト開発なのか、ソフトウェア開発なのか次第で、相手にするベンチャーキャピタルも違えば、投資の種類も違ってくる。メンターのみなさんからは、ぼくらのカバーする領域にあわせたパートナーを選ぶようアドバイスをいただきましたね。さらに「この素材を使いたいであろう大手の繊維商社やメーカーは、将来の事業シナジーを考えてくれるかもしれない。」など、具体的な指導もいただきました。

自作機械であふれた工場の一角
HIP
プログラム参加を機に、スタートアップも始められたと聞きました。
仁志

はい、糸事業をスピンアウトさせて新しい会社をつくる方針を決めました。プログラムに参加することで、資金調達をしてメンバーを集め、しっかりとした体制でこの糸の研究開発および販売をする専門業者としてやる、という道筋ができました。

スタートアップにするという発想は、自分一人では絶対に出てこなかったことです。おそらくプログラムに参加していなかったら、マンパワー不足で体力を削られながら、手弁当での開発に疲弊していっていたのかもしれないと思います。

プログラムでの具体的な指導も役に立ったのですが、ぼくにとっては、講師の方々にマインドセットをしてもらえたことが本当にありがたかったです。起業家になり、これからスタートアップイノベーションを起こしていこうとする人は普通のメンタルではいけない。「自信をもって、自分はできると信じ込め」と、精神的な部分を教わったことがぼくにとっては大きな学びでした。

HIP
印象に残っている具体的なプログラムはありますか。
仁志

全13回のうち1回目、2回目は「マインドセット」というプログラムでした。2回目の講師となったフォースタートアップス株式会社の志水雄一郎社長の話は、とにかくアツくて。志水さんが同級生の堀江貴文さんにヤキモチを焼きながら、でも自分は大企業に勤めて結果を出せずにいながら夢を追いかけていて、「いまここにいるみんなは、昔の俺だ」なんて話をされるんです。

そのなかでも「すべての不正解を正解に変えるのが事業家の仕事だ」とおっしゃったことばは、ぼくにはとくに刺さりました。何が起こっても最終的に正解に変えたら正解。それくらいの気概をもっていないと、起業家にはなれないんだと気付かされましたね。ぼく自身、いろいろな仕事を渡り歩いて、圓井繊維機械に転がりこむように入社しました。「これまでの人生をひっくるめて、正解に変えてしまえばいいんだ」というマインドセットを得られたのです。

2024年2月に行われた「始動Next Innovator 2023」の最終成果発表会(デモデー)では、最優秀賞に輝いた(写真提供:始動Next Innovator)
HIP
それにしても、まさにゼロの状態から、シリコンバレーメンバーの30名に選ばれたわけですから、ものすごい努力をされたのですよね。
仁志

シリコンバレーには行きたいけれど、ついていけるかは最初は心配でした。でも「正解にするんだったら努力せなあかんな」と。だから、シリコンバレー行きは無理であっても、せめて同期メンバーや先生の一言一句が理解できるようになればいいかなと思っていました。

毎回の講義では、わからないことを質問し、宿題として感想をレポートにします。このレポートは別に得点には関係ないのですけど、ぼくはかなりの分量を書いて提出していましたね。「誰よりも勉強する」って決めたから、誰よりも時間をかけて宿題をやろうと思っていました。

メイド・イン・大阪を世界に

HIP
努力が実を結び、結果的にプログラムの上位者が選ばれるシリコンバレー研修メンバーに選出されました。シリコンバレーではどんなことが印象深かったですか。
仁志
8日間の日程で、メンバーは30人。事前に「シリコンバレーに行く30名は、めちゃくちゃ仲良くなる」と聞いていたので、ぼくはまず、日本のプログラムで見てきたメンバーのなかでも“すごそうな人”と仲良くなろうと決めました(笑)。そこで、とくに目立っていたふたりに、到着したサンフランシスコ空港から話しかけて。彼らとは毎朝6時からシリコンバレーを走るランニンググループをつくり、たくさんの話をしました。彼らとは、いまも連絡を取り合っています。どちらも医療系の事業に取り組んでいて、ときに情報交換をしています。
スタンフォード大学内の「スタンフォード・メモリアル・チャーチ」前で、プログラム参加者とともに(写真提供:始動Next Innovator)
HIP
シリコンバレーでのプログラムではどんな学びを得ましたか。
仁志
シリコンバレーで学んだことは、とにかく桁が大きいということ。日本とアメリカでは、2ケタ違う。つまり、日本が「10億稼ぐ、100億稼ぐ」というレベルだとしたら、アメリカでは「100億、1000億、5000億」を目指すのが当たり前のような世界なのですね。スピード感と行動力、そして夢のでかさが違うから行動する規模も違うんだと気づきました。
HIP
2月17日、東京で開催された成果発表会(デモデー)では、圓井さんのプロジェクトが最優秀賞に選ばれました。事業スタートアップを始めつつ、並行して圓井繊維機械の事業も続け、この先には事業継承の問題も待っているかも知れません。今後、どのような展開を考えていますか。
仁志

POM繊維には、脱⽯油が可能であること、“繊維to繊維”のマテリアルリサイクルができる可能性が高いことなどの画期的なサスティナブル性能に加え、耐薬品性、耐アルカリ性、耐摩擦、耐摩耗性、抗菌性、速乾性など……と、既存の繊維では見られない多くの特殊物性を備えています。

「糸」というとアパレル産業を思い浮かべる方が多いと思いますが、圓井繊維機械が培ってきた技術を使えば、産業資材用に加工することも可能です。強度も強く海水に対する高い耐性を生かせば、例えば船舶を引っ張るための産業用ロープをはじめ、洋上風力発電を海底と繋ぐためのロープなども製造できます。

これらの用途には膨大な量の糸が必要となりますが、ここにPOM繊維を応用することはまさにSDGsに直結した取り組みだといえます。アパレルに展開できればこの糸の魅力を伝えやすいので大手繊維メーカーとコラボレーションができたらいいなと思います。

圓井繊維機械の看板猫の「こいし」は、会社の前の通りを行き交う街の人たちからも人気者
HIP
改めて、これからの環境を考えるとものすごく可能性を秘めた糸ですね。町工場というと下請けのようなイメージもありますが、この町工場から世界を変える技術が生まれているわけですね。
仁志
圓井繊維機械は、企業からお願いされてものをつくることももちろんあります。が、基本的に僕たちは「ファブレスメーカー」。ぼくたちがもっているのは「技術」であり、その技術をベースにして企業に発注してものをつくってもらうことが、実は多いのです。建設業でいうと、建築事務所のようなものです。
創業時はミシン一本でやってきました。日本の景気がよいままであれば、そのままそれだけを続けていたかもしれません。しかし、同じことばかりをずっとやっていてもダメなんです。だから間口を広げて、これまで50年間事業をやってきた機械屋の繋がり、お客様の繋がり、メーカーの繋がりをもとに、手の届く範囲のことはやるという気概が必要ですね。
現在工場で働く職人は2人。彼らが手作業で、機械そのものも製造している
「空気でつくる糸」は新しい取り組みですが、基本的には圓井繊維機械の繋がりが生きてこそ生まれたものです。工場で働く職人さんの高齢化も進んでおり、今後、事業形態は変わるかもしれません。が、率直にいえば、「残さないといけない」というこだわりが行動を縛ってしまうような気もします。商売のやり方もテクノロジーも変わっていくなかで、まったく形を変えてでも会社として成功することができたら、ぼくはそれで走ればいいと思います。
仁志
ぼくたちは、衰退しゆく日本の繊維産業仲間たちを50年以上、ずっと大事にしてきました。この積み上げてきた人たちの力がなかったら、POM繊維は絶対できてないといってもいいでしょう。だからこそ、日本の繊維業界がグローバルに拡大していくためにも、少しでもPOM繊維が起爆剤となれたらと思っています。大阪は明治・大正・昭和にわたって「東洋のマンチェスター」と言われるくらい繊維を売ってきた場所。これから世界に「made in Osaka」を打ち出していけたらと思っているんですよね。

Profile

プロフィール

圓井仁志(圓井繊維機械・新規事業部長)

教員などの職業を経て、圓井繊維機械にジョイン。新規事業部長として同社のPOM繊維の事業化を牽引している。

圓井良(圓井繊維機械・代表取締役社長)

同志社大学工学部を卒業後、三菱自動車工業を経て1994年に圓井繊維機械に入社。1970年設立、1975年創業の圓井繊維機械を代表取締役社長として率いる。

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