撤退を教訓にして、次へと進むべき。既存事業が順調でも感じた、未来への危機感
HIP:もともと荏原製作所には、新たなチャレンジを推奨する企業文化が根づいていたのでしょうか。
松井:一昔前までは、根づいていたと思います。1980年代半ばから2000年代前半まで、太陽光発電、マイクロガスタービン、風力発電、太陽光発電、燃料電池などさまざまな分野に新規参入しました。しかし、残念ながら燃料電池は2009年、風力発電は2010年に撤退するなど、その多くが日の目を見ることはありませんでした。
それから10年ほどしか経っていないので、いまでも新規事業に対しては一部から慎重な声があります。しかし、昨年、浅見が社長に就任してから、社内の風向きが変わり始めました。
浅見の出身は、精密・電子事業。1980年代半ばに始めた新規事業で、いまはメイン事業のひとつにまで成長しています。その経験を持つ浅見がリーダシップを持って、新規事業を推奨しているのは大きいですね。
杉谷:経営環境の基盤整備に全社一丸で取り組んだ結果、近年の荏原製作所は、財務的には安定しています。一方、新規事業を興して進化し続けないと、数十年単位で見たときには未来がないのではないかという危機感もありました。
既存事業が順調ないまだからこそ、新しい事業に挑戦できるチャンス。過去の撤退事例を気にしていたら何も始まらないですし、どんな企業でもすべての新規事業が百発百中で成功するわけではありません。重要なのは成功も失敗も教訓にして、チャレンジャーとして次へと進むことです。
浅見の社長就任により、外部ベンチャー企業などとの技術提携も積極的に行いながら、新規事業の創出に取り組むべきだという意識が強まってきました。その流れで立ち上がったのが、次世代事業開発推進部であり、そこから生まれた養殖事業なのです。
既存事業と新規事業を不可分な関係に。どちらも成長させる「両利きの経営」とは
HIP:とはいえ、養殖も過去に断念した事業のひとつですよね。普通だったら躊躇すると思いますが、もう一度チャレンジするきっかけがあったのでしょうか。
杉谷:じつは、過去の新規事業開発に携わった社員に、当時の経験やうまくいかなかった理由をインタビューさせてもらいました。その流れで、すでに退職している当時の養殖事業担当者にも、話を聞くことができたんです。
松井:その方は、「メーカーだからといってモノづくりだけに固執して、ポンプの提供だけを担うなどと限定して考えるとうまくいかない。自社が直接的に関与するかは別として、魚を育てて消費者に届け、食卓に届けるところまで全体構造を視野に入れるべき。そうすることで、弊社がどの部分で活躍できるのか、どんなパートナーが必要なのかが見えてくる」とおっしゃっていました。
その話を聞いて、「事業をとおして何を達成したいか」が明確なら、当時も軌道に乗せられた可能性はあったのではないかと感じました。当時から技術力はあり、特許まで取得していたのですから。
松井:そういった過去の経験を、担当していた方から聞けたのは大きかったですね。冒頭に話したように、今回の養殖事業推進プロジェクトで、最終的には養殖した魚をブランディングし消費者まで届けることまで見据えた目標としたのも、先人の話を聞いたからです。
日本の大企業では、目先の利益も重視してしまう傾向が強いため、リスクを最小限に抑えたがります。しかし、ゆくゆくのことを考えると、本質的な課題解決にチャレンジしなければ、本当に解決すべきポイントがどこにあるのかわかりませんし、大きな成果も得られない。最終的に自分たちの強みを発揮するためには、一見関係なさそうな部分も意識して、事業推進を考えることが大切だと気づきました。
加えて、これからの養殖はプロの勘に頼ったものではなく、生産プロセスのなかで取得したデータをもとに魚を育てる「スマート養殖」が主流になる。魚の生育を理解しなければ、最適なシステムはつくれません。だからこそ、川上から川下までをパッケージとした産業化を見据える必要があると感じたのです。
そのためには、生物の知見やデータ分析が得意なメンバーが必要になる。そういったメンバーは、弊社にはまだまだ足りていませんし、より多くの社内外のプレイヤーと連携をとっていきたいです。
杉谷:現状で荏原製作所が魚の流通、販売ノウハウを持っているわけではないので、消費者の手にわたる川下の部分を構想するのは、当分、先になると思います。ただ、大手スーパーや卸業者などに卸すところくらいまでは、できるだけ早く実現していきたいですね。
そのときは、流通に詳しいパートナーと組んで、われわれは流通をより効率化できる機器類を提供したり、開発したりすることになると思います。一方で、種苗開発を得意とするリージョナルフィッシュや餌メーカーなど、川上のプレイヤーとの連携も強化していきたい。川上から川下までを経験することで、もともと産業機械メーカーとして持っていた強みがより活かされ、既存事業の成長にもつながると考えています。
HIP:新規事業が既存事業にも、良い影響を及ぼすわけですね。
杉谷:はい。新規事業の創出過程で知り得た情報や生まれるさまざまなベネフィットが、既存事業の成長にも寄与する。もちろん、その逆も然りです。既存事業と新規事業は、不可分な関係なので、両立して成長させるべき。それこそ私が考える「両利きの経営」であり、つねに意識している事業方針です。
しかし、現場の既存部署からすると、新規事業の部署は何をしているかわからないと見られるケースが多い。ともすれば、利益も生み出さずに遊んでいるようにも思われます。だからこそ、少なからず既存事業の製品販売にも寄与することで、会社全体で有益なことをやっていると理解してもらうことが大事。そういった地道な関係性づくりこそ、お互いの信頼関係を深めていくはずです。
知と知が出会えば、ゼロからイチが生まれる。ARCHに期待すること
HIP:次世代事業開発推進部は、虎ノ門ヒルズ ビジネスタワーにあるインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」にも会員企業として参画していますね。大企業で事業改革や新規事業創出をミッションに掲げる組織が集まる施設ですが、何か得られたものはありますか?
松井:さまざまな大企業の新規事業担当者と意見交換をさせてもらっているので、有益な情報を得られますし、何より非常に刺激になっています。各社の事業の取り組みを発表するランチ会という場があるのですが、新規事業を推進するうえでの学びがたくさんありますね。
先日、われわれも陸上養殖の事業を発表する機会をいただきました。出張中に海沿いの道の駅の食堂で、オンラインにてプレゼンしたのが印象深かったのか、早速「もう少し詳しく知りたい」「うちの事業とコラボできそうですよね」などお声かけいただきました。きっかけは些細でも、こうしたつながりがやがて大きなイノベーションにつながっていくと期待しています。
また、新規事業担当者は基本的に同じ立場、役割の人が社内に少なく孤独になりやすい。ARCHで同じ境遇の相手とディスカッションすることで「自分だけじゃないんだな」と、置かれた状況を客観視できることはとても大きいと思います。
杉谷:知と知の「新結合」を経て、ゼロからイチが生まれると思っているので、ARCHで各企業から、社内とは異なる視点からの知見、アイデア、評価を得られるのはありがたいです。
次世代事業開発推進部では、「リージョナルフィッシュ」との陸上養殖以外にも、他社と協力して推し進めている事業がすでにいくつかあります。たとえば、Spiber株式会社との事業。同社は、主原料を石油などの枯渇資源に依存せず、持続可能な次世代の基幹材料として期待される構造タンパク質の開発・製造を手掛けています。そのSpiberと、バイオ技術の普及・発展に向けた協業を行っています。
ほかにも、ユーグレナーとリバネスが設立した東南アジアのスタートアップに投資を行う「リアルテックグローバルファンド」への出資も行いました。東南アジア市場を見据えた新規事業開発、弊社社員のファンドへの派遣を通じたイントレプレナーシップの習得を目指します。
こうした新たな取り組みを、今後もさらに増やしていきたいと思っています。ARCHはさまざまな歴史、技術、人材、アイデアを持つ企業が多数在籍しているので、先入観を持たずに接点を積極的につくり、あらゆる知の新結合からイノベーションを起こしていきたいですね。
HIP:最後に、養殖事業推進プロジェクトが描く今後のビジョンを教えてください。
松井:繰り返しにはなりますが、陸上養殖を産業化することで海を休ませ、ふたたび豊かな海を蘇らせる手助けをしたいです。海が豊かになれば、漁獲量も上がるはず。日本の水産養殖業はまだまだポテンシャルの大きな業界であり、世界のリードプレーヤーになれるチャンスがあります。
現在は、「海を休ませる」ための一環として、単純な陸上養殖のほかに、水耕栽培と掛け合わせた「アクアポニックス」という循環型農業にもチャレンジしています。陸上養殖で育てた魚の排泄物を微生物が分解して、植物や野菜がそれを栄養として吸収し、浄化された水は再び魚の水槽へと戻る。この循環式の水産システムをより高いレベルで構築できれば、養殖も農業も生産効率が高められます。
さらに、このアクアポニックスの取り組みは、弊社の特定子会社に勤務する障がい者の方に実務を担っていただいてるので、ESG(環境・社会・ガバナンス)にも寄与できると考えています。今後も海を起点に、より広範囲の環境改善と社会課題の解決に貢献していきたいですね。