自動車や鉄道を筆頭に、移動に関する多くの業界が注目している「MaaS」。ITによって交通手段や移動を効率化し、社会課題を解決していく取り組みの総称である。
その分野における国際的なコンペティション『MaaS & Innovative Business Model Award(略称:MaaSアワード)』の2020年度ビジネスモデル部門で優秀賞を獲得したのが、大日本印刷(以下、DNP)とFinTechサービスのスタートアップGlobal Mobility Service(以下、GMS)の共創によるプロジェクト「東南アジアにおける物流配送マッチングサービス」だ。
多くの人にとって、DNPといえば出版や印刷事業の老舗という印象だろう。そんなDNPがなぜ、モビリティ事業を推進し、さらには東南アジアという異郷でMaaSにチャレンジしているのか。まったく畑違いに思われる挑戦の理由と、東南アジアで叶えたいビジョンについて、DNPのモビリティ事業部 事業企画室の椎名隆之室長に話を聞いた。
取材・文:笹林司 写真:玉村敬太
東南アジアの貧困をなくしたい。働き者が正しく評価される社会をつくる
HIP編集部(以下、HIP):DNPのモビリティ事業部では、フィリピンを中心に「物流配送マッチングサービス」の実証実験を進めていますが、簡単に概要を説明いただけますでしょうか。
椎名隆之氏(以下、椎名):わかりやすくいうと、ウェブやスマートフォンのアプリケーションを使って、荷主とトラックドライバーのマッチングができるサービス。いわば、BtoBの物流版Uberみたいなものです。
現在、DNPは国内外の社会課題を解決する事業展開に力を入れています。なかでも、以前から着目していたのはフィリピンの貧困問題。ASEAN(東南アジア諸国連合)のなかでGDPが上位にもかかわらず、他国と比べても就業機会を得られずに貧困から抜け出せない人がたくさんいるんです。
そうした人たちのために、「真面目に働く人が正しく評価される仕組み」をつくり、貧困問題をなくすことを目的にスタートしたのがこのサービス。現地が抱える2つの社会課題を同時に解決したいと考えています。
HIP:フィリピンが抱える2つの社会課題とは?
椎名:ひとつは、急速な経済成長による物流量の増加に対して、物流事業者が不足していること。梱包済みの大量の荷物が、雨ざらしで工場などに放置され続けている現状があり、物流機能が経済成長のボトルネックともいわれています。
もうひとつの課題は、与信審査を通過できない低所得層がたくさんいること。彼らは、自動車やバイクがあれば配達の仕事をして収入を得ることが可能ですが、そもそもローンを組めないので配送業を行うことができません。
この2つの社会課題の解決するためのFinTechサービスを、2018年からフィリピンなどで展開していたのが協業先のGMSです。同社が開発したのは、低所得層がモビリティをローンで購入できる仕組み。これにより、安価なトライシクルという大型三輪車を購入し、個人事業主として配送業を始める人が増えました。マニラ近郊では、約1万人がサービスを利用しています。
すでに現地で実績を上げている彼らのサービスを基盤に、DNPのIT技術や知見を盛り込んでいけば、東南アジアの貧困や物流課題をより大きな視点から解決できると感じ、2018年6月に出資して資本業務提携を結びました。
さらに稼げる仕組みで、物流を活性化。DNPの技術で荷主とドライバーをマッチング
HIP:資本業務提携を結んだあとは、まず何から始めたのでしょうか。
椎名:出資が決まった翌月にはマニラに飛んで、GMSの既存サービスの業務やドライバーの働き方などを視察させてもらいました。やはり現場で課題を抱えている人の声を聞いてこそ、社会問題の本質が見えますからね。新規事業において、現場に赴くのは不可欠だと思います。
実際、先ほどお話した2つの社会課題も現地で目の当たりにして、一刻も早く解決したいというモチベーションも高まりました。新たに加わったDNPが、これらの社会課題に対してどのような貢献ができるのか、毎日のようにGMS担当者と現地パートナーの物流企業とディスカッションを行いました。
HIP:そこから「物流配送マッチングサービス」が生まれるには、どういうきっかけがあったのでしょうか。
椎名:まず、現地を視察するなかで感じたのは、トライシクルだけでは運べる量には限界があるし、東南アジアの物流量の増加には追いつかないこと。四輪自動車の配送業者も増やせれば、より物流が活発になりますし、ドライバーの稼ぎの底上げにもつながると思ったのです。
そこで目をつけたのが、トライシクルのローン返済時期です。GMSがフィリピンで2018年にサービス開始した時から真面目に仕事をしてきた多くの優良ドライバーが、ちょうどローンを完済し始めている時期でした。
そのタイミングでトライシクルから四輪自動車へとステップアップして、物流業でもっと稼ぎたい人という人がたくさん出てくるはず。ただし、四輪自動車になれば、銀行のローン審査も厳しくなります。さらに返済するには、彼らがより多く配送の仕事を得る必要がある。
そこで、荷主とドライバーをマッチングし、配送をより効率的にするクラウドシステムをDNPが構築しました。それをGMSのFintechサービスとかけ合わせたのが、「物流配送マッチングサービス」です。2019年の春にプロジェクトとして本格始動して、2019年9月にはフィリピンで実証実験をスタートさせました。
HIP:プロジェクトを始動してから、短期間で実証実験までこぎつけた要因はなんだと思いますか?
椎名:大幅にコストを抑えられたことですね。とくにマッチングサービスの開発システムは、ゼロからつくると億単位の金額が必要になるものだったので、開発メーカーを探すのはかなり苦労しました。結果的には、すでに必要なシステムの技術を持つ現地の開発メーカーと出会い、格安で請け負ってくれて。その出会いがなければ、実証実験までいけなかったかもしれません。
また、四輪自動車に関しても、新車だとお金がかかる。そこで、事故車や中古車をフィリピン現地で修理して利用しました。こうした準備段階でのコストを下げられたことで、実証実験に向けて必要な資金を随時あてることができ、事業推進のスピードも上がったと思います。
HIP:実証実験をスタートしてから1年ほど経ちますが、どんな課題が見えてきましたか?
椎名:とくに課題に感じているのは、配達先での検品や現金の受け渡しの手間によるタイムロス。フィリピンでは日本と違い、届けられた荷物をその場で開けて、商品の数が揃っているかなどを確認します。こういった文化による課題も、一つひとつ対処方法を考えている最中です。
事業にかける「想い」に心が動いた。GMSへの出資を決めたポイント
HIP:雇用を創出するGMSの仕組みと、集荷・配送先とドライバーのマッチングを提供するDNPの仕組みを融合したプロジェクトなんですね。GMSとは、どのような経緯で協業に至ったのでしょうか。
椎名:2018年にGMSが第三者割当増資を行う際に、お声掛けをいただいたのがきっかけです。当時、私はモビリティ事業部の事業企画室の室長になったばかりで、複数社のM&A案件も含めて出資先を検討していました。そのなかでもGMSは出資金額が低く、私たち現場のハンドリングのなかでスピード感をもって取り組めそうという点が魅力でしたね。
HIP:ほかにも何か惹かれるポイントはありましたか?
椎名:あとは、やはりビジョンや想いに共感できたのも大きかったです。出資前に、お互いの経営陣だけでなく実務メンバーも交えて何度も話し合いを重ね、事業にかける「想い」を共有しました。
じつは、冒頭にお話した「真面目に一生懸命働く人たちが収入やメリットを得られる仕組みと社会をつくりたい」というビジョンもGMSのCEOである中島徳至さんが、起業された頃からおっしゃっている言葉。その想いに共感し、資本業務提携を決めました。