ビジョンやミッションを言語化し、羅針盤をつくる
HIP:マクアケというと「クラウドファンディングの会社」というイメージが強いですが、企業の新規事業支援にも力を入れているんですね。AIRプロジェクトに参画した経緯を教えていただけますか。
北原:マクアケはクラウドファンディングの会社として始まりましたが、途中からお金を集めるだけでなく、新規事業の「テストマーケティング」の場としても活用されるようになっていきました。
そのなかで、いろんな新規事業担当者に話をうかがっていて興味深かったのが、やはり新規事業って頓挫することが多いらしいんですよ。前例のない商品アイデアや技術は、採算性を証明するのが難しいので、「本当に売れるの?」と突っ込まれてお蔵入りしてしまう。
でも、Makuakeの仕組みを使ったテストマーケティングで結果が出ると、反対していた人も手のひらを返して絶賛したり、周りの風向きが大きく変わるそうなんです。
こうした新たなニーズを受け、マクアケでは2015年頃から新規事業のシーズ段階から関わり、世の中にアウトプットするところまで伴走する部署「Makuake Incubation Studio(MIS)」を立ち上げました。また、近年では事業者の利用目的などの実態からみても「クラウドファンディング」という言葉の一般的な意味とも乖離があることを受け、「アタラシイものや体験の応援購入サービス」として説明しています。
HIP:今回のAIR事業において、アイシン側からはどんな役割を期待されていたのでしょうか?
北原:当時は微細水の肌への効果が見え始めてきたタイミングで、井上さんとしてはこの技術をどんな製品・サービスに落とし込めば多くの生活者が価値を感じてくれるか試行錯誤している段階でした。この「価値の創出」の部分をサポートしてほしいと。
微細水は技術として革新的で、学術的な裏付けもある。でも、それを新規事業として展開させていくとなると、技術だけでは認めてもらえません。
アイシンさんに限らず、ビジネスである以上はユーザーベネフィットを意識し商売としての可能性を示すことが求められます。そこで、まずはモニターを募りユーザーの「肌の調子がよくなった」「水が浸透している感触がある」といった声を拾い上げ、アイシンさんの社内でプレゼンし、会社の人々が味方になってもらえるよう風向きを変えていくことから行いました。
新規事業プロジェクトでは、このようにして事業の解像度を上げていき、成果を社内外にアピールし続けながらサバイバルしていくことが重要ではないかと思います。
HIP:事業の解像度を上げていくためには何が必要なのでしょうか?
北原:事業の「羅針盤」をつくることですね。つまり、この新しい技術を通じてどのような世界を実現したいのか、そのためにアイシンはどんな使命を果たすのかをチームのメンバーが共有し、上に対しても説明できるよう、ビジョン・ミッションとしてわかりやすい言葉やイメージに翻訳することです。
そのために、まずは井上さんに徹底的にインタビューしました。この技術を通じて、どんなふうに社会に貢献していきたいかというビジョンやミッションを言語化するところから始めたんです。
その結果、見えてきたのは決して一過性の美容トレンドをつくりたいわけではなくて、この技術を美容のみならず医療、衛生、食品などに活用の幅を広げ、より多くの人や社会に貢献できるものに育てていきたいという想い。
井上さんの想いを羅針盤として、名称や戦略を固めていきました。例えばAIRの前につく「Water Infusion System」という名称も、研究者の方への印象を考慮したものです。
一般消費者向けには微細な粒子を表現する際に「ナノ○○」といった名称のほうが馴染みがあると思うのですが、研究者の方は正しいメカニズムやエビデンスを重んじるためそうした名称を警戒し、どんなに優れた技術であっても名称から受ける印象によってまともに話を聞いてもらえない可能性がありました。
HIP:つまり、決して怪しいものではなく、学術的な裏付けのある技術であることをわかってもらう必要があると。
北原:はい。そのためには学術的にも論文などで使えるような名前にしなくてはいけないと考えていました。そこで、学術的にすでに採用されている「Drug Delivery System」のニュアンスを参考に、まずは「Water Infusion System」という名前をアイシンさんに提案し名付けました。
ただ、これだと論文には使えても、商品やサービス名としては堅いため、「目に見えない微細水」という特徴を表現し一般への浸透を意識した「AIR」という言葉を足して「Water Infusion System AIR」とも提案したんです。ちなみに、AIRはAQUA(水)、INNOVATIVE(革新的)、 RUDIMENT(原理)の頭文字をとった造語になります。最終的にはこれが正式名称になりました。
技術の価値を信じ続けたからこそかたちにできた
HIP:そうした過程を経て、2018年に井上さんがイノベーションセンターへ異動し、本格的に新規事業化を目指してAIRが始動することになります。そこに至るまでにはさまざまな苦労もあったそうですね。
井上:そうですね。私はもともと新規事業を担当する部署にいたわけではないため、正式にイノベーションセンターへ移るまでは、とにかく「この技術を守るためにどう生き残るか」ということを常に考えていました。当時は限られた予算を大学や医師との共同研究に集約して、私たちが考える価値を科学的に立証することだけに注力していましたね。
そこで学術的な裏付けがとれたことはやはり大きくて、「これは確実に価値があるものだから、何を言われても頑張ろう」という覚悟を持つことができたように思います。
HIP:科学的に立証できたことは、会社に対しても大きなアピール材料になりますね。
井上:はい。じつは一度本当にプロジェクトが頓挫しかけたタイミングがあったのですが、その時点での技術の価値を会社が認めてくれていたこともあり、ギリギリ首の皮一枚を残して継続することができました。
また、会社に対してはそうした技術としての価値だけでなく、「ビジネスとしての可能性」もアピールし続けていました。
いくら良い技術であっても、それを磨くことばかりに時間を使っていては、いずれ競合が出てきて優位性が失われてしまう、なんてことになりかねません。
だから技術だけでなく、ビジネスとしての可能性もアピールするために、まずは世に出そう、と。世に出せば、お客さまの意見を聞いてPDCAを回し、ブラッシュアップすることもできますしね。この部分でもマクアケさんには本当に尽力していただいて、感謝しています。
さまざまな方向性のアイデアもいただきましたし、具体的な商品をつくるためのパートナーも次々とご紹介いただきました。どれかが失敗しても、次々と新しい打ち手を出していただけるので、なんとか踏み止まれたように思います。北原さんはアイシンの風土や事情もうまく汲み取りながら伴走してくれて、勝手に戦友のように思っています。
北原:ありがとうございます。私は井上さんの情熱があったからこそ、ここまでたどり着けたのだと思っています。
新規事業を前に進めるためには要所要所で成果をアピールしていくことも大事ですが、それよりも重要なのは担当者が最後まで諦めずにやり抜くこと。担当者が電池切れをしたら、その時点で試合終了ですから。
井上さんは最初から最後まで、この技術には確かな価値があると信じ続けていて、絶対に世に出すんだという強い意志を持たれていました。それってつまり、会社から「やらされている」のではなく、本人が「やりたい」と思っているかどうかが一番重要なんだということ。それを井上さんから学ばせていただきました。
正直、いろんな逆風もありましたが、井上さんが先陣を切って頑張り続ける姿勢があったからこそサバイバルできたのだと思います。
HIP:今回のプロジェクトを通じて、どんな学びがありましたか?
井上:いくら優れた技術があっても、それだけでは新規事業はうまく進まないとあらためて感じたことですね。
私はエンジニアなので、どうしても技術中心でものを考えがちなんですけれども、ユーザーベネフィットを意識して、ビジネスをつくり出していくこと。その3点を意識して、PDCAを回していくことの大切さをあらためて学びました。
北原:私も同じです。アイシンさんは既存事業のスケールがかなり大きく、安全リスクへの意識も高いので、そのなかで新しい事業を認めてもらうことは、すごく難しい挑戦でもありました。
でも、井上さんは自分たちが見つけた技術が必ず世の中の役に立つと信じて、ユーザーやビジネスと結びつけることをあきらめなかった。
井上:いまのお話を聞いてひとつ付け加えると、このプロジェクトでは失敗も多々ありました。でも、その失敗があったから精度の高いプロダクトができたと思っています。
新技術の開発も、新規事業の開発も、仮説を立てて検証することの繰り返しです。そこで何度も失敗するわけですが、「次は別の考え方をすればいいんだ」「この失敗があったからこそ、精度が上がるんだ」という考え方をすることが大切ではないでしょうか。そこに関しては、エンジニアとしてさまざまな技術開発にトライしてきた経験が活かされたかもしれないと思っています。
HIP:最後に、AIRの今後の展望をお聞かせください。
井上:まずは、すでに動き始めた美容の事業を軌道に乗せること。肌ケアの分野にも来年度中には本格的に市場展開していく予定です。また、現時点で詳細は明かせませんがゆくゆくは医療や農業、衛生などの分野にも発展させていくことができると考えています。
ほかにも、私たち自身が思いもよらない用途があるかもしれない。さまざまな可能性を視野に入れ、AIRがよりよい未来づくりに貢献できるよう頑張っていきたいですね。