Facebook、Google、ソニー各社が開発のしのぎを削り、私たちの生活の中でも耳にする機会が多くなってきた「ヴァーチャル・リアリティ(VR)」。10月には「PlayStation®VR」の発売が予定されており、今年は「VR元年」ともささやかれる。あらためてVRとは何なのか? そしてVRは私たちの生活をいかに変えていくのか? 国内外のVR事情に精通する、VR専門メディア「MoguraVR」編集長・久保田瞬氏に全体像を語っていただいた。
前編に引き続き、後編ではVRのプラットフォーム論にも触れつつ、医療・教育・産業でVRが革新を起こしつつある現状について事例を交えながら解説。VRとAR(augmented reality:拡張現実)が融合した先で、人間の感覚や価値観にどういった変化が起こるのか、未来像についても語っていただいた。
構成:長谷川リョー 撮影:豊島望
VRコンテンツ制作のハードルを下げ、普及を助けるミドルウェア
デバイスがどれだけ高度に進化していったとしても、重要なのは変わらず「体験」の部分です。ユーザーがVR体験を通して感動できるか否かは、コンテンツにかかっていると言っても過言ではありません。そのコンテンツ開発を助け、VRが普及し始める要因となったミドルウェアについても言及しておく必要があるでしょう。
VRコンテンツの制作には、大抵の場合「Unity」や「Unreal Engine 4」と呼ばれるゲームエンジンが用いられています。グラフィックデザイナーが使うAdobeのIllustratorのようなものと理解していただいて良いかと思います。ゲームエンジンは基本使用料が無料で、ライセンスフィーとしてコンテンツのマネタイズをする段階になって初めて使用料を徴収するモデルになっています。そのため、コンテンツ制作に参入するハードルが格段に低く、個人から大手企業に至るまで広く使えるという利点があります。
コンテンツを作る基盤がゲームと共通という意味では、VRがゲームに根ざしたものであるという見方は正しいと言えるのかもしれません。ゲームエンジンを使いこなすスキルへの需要は高まっているため、ゲーム業界にいるエンジニアがVRを通じてキャリアアップできるチャンスが訪れているとも言えるのではないでしょうか。
現在はハードウェアに依存するプラットフォームの今後は?
ここまでハードウェア、ソフトウェア、ミドルウェアについて触れてきましたが、もう一つ忘れてはならないのが配信プラットフォームでしょう。現在のVR業界では、基本的にハードウェアを作っている会社がそれぞれプラットフォームを保有しています。Oculus RiftにはOculusのプラットフォームがありますし、HTC Viveも全世界に1億人以上のユーザーを抱えるValveのゲームプラットフォームを持っています。PlayStation®VRにも専用のストアが存在します。
VR業界自体がプラットフォームを前提に形成されてきたため、スマートフォンデバイスを製造するHTCはプラットフォームを持ってコンテンツ配信の仕組みやノウハウを持つValveと組みました。これによってお互いの弱みを補い合うことができたのです。
没入感の体験がハードウェアごとに異なるため、プラットフォームが分かれてしまうことはある程度仕方ありませんが、理想としてはプラットフォームが統合され、インターネットと同様にどのようなデバイスからもアクセス可能となる状態が望ましいと私は思います。例えば、VR上のOSのようなものが出てくれば、各デバイスはそれに適合するだけでいい。そういった状況も考えられるのではないでしょうか。
また、既存の配信プラットフォーム側からコンテンツ側への参入というパターンも充分にあり得ます。事実、Google系列のサービスであるYouTubeはすでに360度動画に対応しています。
FacebookがOculusを買収したのは2年前に遡りますが、CEOのマーク・ザッカーバーグはコミュニケーション・プラットフォームとしてのVRの可能性について言及していました。Facebookの投稿の歴史を振り返ると、テキストから写真、そして動画へと変遷を遂げてきたことがわかります。「次に人々が共有するのは”体験”ではないか」というのがザッカーバーグの見立てとなっています。
今年の4月、Facebookの開発者会議「F8」でザッカーバーグは向こう10年の戦略を発表しました。戦略上の重要なテクノロジーとしてVRやAIが語られましたが、そこで私が注目したのはVRが「メガネ」のようなマークで表現されていたことです。向こう10年でVRがメガネのように日常で身につけられるもので体験できるようになるほど、生活に浸透することを想定しているのでしょう。おそらくFacebookが想定しているのは、特定のコンテンツに何千万人が一斉にアクセスするというよりは、すでにあるパーソナルなつながりの延長線でVRが介在していくイメージではないでしょうか。