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日本酒業界の常識を変えた『獺祭』。桜井博志が改革に挑み続けられる理由
旭酒造社長 桜井博志
2015.07.14

『獺祭(だっさい)』という名前を耳にしたことがある人も多いだろう。酒造好適米として知られる酒米『山田錦』を使って造られている純米大吟醸酒だ。その飲みやすさからこれまで日本酒に接してこなかった人にも好まれ、その人気は海外にも及び、パリのソムリエも絶賛しているほど。

この『獺祭』を生み出した蔵元が、山口県岩国市に拠点を構える旭酒造だ。そしてこの旭酒造を世界的に有名な酒蔵へと飛躍させたのが、同酒蔵の3代目社長である桜井博志氏である。その飛躍の過程には、「杜氏」という伝統的な職人制度の廃止や農家のIT化など、酒蔵としては他に類を見ない、数々の新しい取り組みがあった。伝統や業界という逆風の中にあって、桜井社長はどのように変革を起こし続けているのだろうか。

取材・文:HIP編集部 写真:大畑陽子

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「日本酒業界の常識を変えた『獺祭』。桜井博志が改革に挑み続けられる理由」
旭酒造社長 桜井博志

昨日と同じことを一生懸命頑張っていても飛躍はない

HIP編集部(以下、HIP):家業である旭酒造を継ぐことになったときはどんな心境でしたか?

桜井博志(以下、桜井):「これは大変な会社を引き受けたな」と思いましたね(笑)。1984年に酒蔵を引き継いだんですけど、数字を見てみると売上が前年比85%だったんです。10年間さかのぼってみると、設備投資もしていなければ、社員の昇給もないまま、売上が3分の1ほどに縮んでしまっている。かろうじて赤字にせずに黒字を保っているような会社でした。

HIP:引き継いだ頃はお子さんも小さかったと聞きます。大変な状態ですね。

桜井:正直、怖かったですね。少しずつ、破滅の淵に近づいていく感覚でした。一方で、社員にはそこまで危機意識はなかったんです。社員に「何でこんな状況なんや?」と話を聞くと、売れない理由がいっぱい出てくる。でも彼らは、売れないこともダメな状況だということもわかっているのに、「この会社はつぶれないでしょ」という感覚だったんです。「昨日と同じことを僕たちは一生懸命がんばってるんだから」と。

HIP:これまでも大丈夫だったし、頑張っているんだから大丈夫だと。

桜井:そんな状況を直ちに打破する必要があった。昨日までと同じことをしていては、いくら一生懸命やったとしても飛躍はありませんから。なので、気がついたこと、思いついたこと、やれそうなことを全部やりました。その過程で「質をこだわり抜いた純米大吟醸造り」というアイデアが生まれて、今につながっています。社員たちからは、あまり支持を得られませんでしたが。

HIP:社員から協力を得られないというのは大変だったのではないですか?

桜井:いえ、逆に邪魔されなくてよかったですよ(笑)。そもそも、これまでの事業があまり上手くいっていなかったので、社員たちから今まで通り真面目にやってほしいと言われることもありませんでした。ちょっとした不平不満は感じましたが、基本的には動きたいように動けたんです。

HIP:順調じゃなかったことがプラスに働いて、新しいことをやっていく上では妨げにならなかった。

桜井:そうなりますね。順調に物事が進んでいる、いわゆる「勝ち組」がなかなか方向転換できないのは、そういう理由もあるんじゃないでしょうか。怖い話ですけどね。

業界の当たり前を見つめ直し、普通の価値観で酒蔵を作り直す

HIP:試行錯誤の中から純米大吟醸を生み出し、その後はどう展開されたのでしょうか?

桜井:地元山口県では生き残っていけないなと思って、まずはあらゆるところに出て行きましたね。私たちの地元は酒蔵から半径5キロ以内に240名くらいしか住んでいないようなところ。山口県岩国市内の中心部まで車で4、50分かけて出て行くと、田舎から出てきた酒蔵という扱いです。それならいっそ全国だ、ということで、そこら中をまわりました。その中で、大学の先輩がいた東京をたまたま訪問したことがきっかけで、東京市場への進出が決まったんです。

HIP:酒蔵は地元の名士と言われることが多いですよね。それが東京市場へ出て行くとなると、地元から色々反応もあったのでは?

桜井:会社を取り巻く地域社会からの批判はずいぶんありましたね。同業他社からも「山口県の酒蔵が東京で売れるわけないだろ」と批判されましたし。中でもつらかったのは、地元で実績をあげ、尊敬している人からも「地元を無視して成功した商売人なんかおらん、それで本当に成功すると思うか」と諭されたときですね。これはかなりきつかった。

HIP:批判にさらされながら新しいことに取り組んでいくのは大変ですね……。

桜井:つらいんですけど、周囲の声を聞いてその通りにしていたら生き残っていけない状況でしたから。自分の考えを変えることはありませんでしたね。

HIP:そこで周囲に引っ張られなかったことが旭酒造の成長につながっているんですね。

桜井:そうかもしれません。東京市場に進出して、初めて気付けたことは色々とありました。例えば、日本酒のラベルです。多くの酒蔵は業界で一番定評のある大きな印刷屋さんにラベルのデザインを頼んでいるので、山口県の酒でも長野県の酒でも、みんな同じようなラベルになっていたんです。そりゃあデザイナーが同じですからね。でも、地元でしかお酒を売っていないと、他の県と市場が一緒にならないのでそれに気付くことはない。私たちは東京市場に出したから、「これじゃだめだ、自分たちで新たにラベルを作らなきゃならないんだ」と気付けたわけです。

HIP:そうやって一つひとつ、業界の価値観を転換していったと。

桜井:私たちは高度なことはほとんどやっていないんですよ。業界の中で当たり前になってしまっていることを見つめ直して、普通の価値観のもとで酒蔵を作り直してみただけです。日本酒業界は、価値観を変える必要があると思います。40年間のうちに、市場規模が3分の1になってしまったんですから、このやり方のままだとダメなんだということがはっきりわかりますよね。インターネットが登場して情報化が進んでいるし、人々の食習慣も変化している。こうした価値観の変化には敏感にならないといけません。

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逆風を受けるというのは、酒蔵としてはおいしいこと

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