ビール文化に多様性を。キリンのクラフトビール事業を立ち上げたマネージャーの挑戦
吉野桜子(スプリングバレーブルワリー株式会社 マーケティングマネージャー)
2018.02.28

ビールといえば、世界的にも主流の「ピルスナービール(チェコの製法でつくられた黄金色のビール)」のほぼ一択。これが2010年ごろまでの日本のビール市場における常識だった。しかし、ピルスナービール一辺倒では、多様な味わいを楽しみたいというニーズに応えられず、さらに若者が持つ「ビールはオヤジくさい」というイメージを覆せないなど、日本の各ビールメーカーは消費者の変化に対応できていないという課題に直面していた。

当時キリンビールのマーケティング部に在籍していた吉野桜子氏はそんな状況に危機感を覚え、2015年「ビールの未来のため」キリンの子会社としてSPRING VALLEY BREWERY株式会社を立ち上げた。同年、クラフトビールの醸造所を併設したビアパブ「SPRING VALLEY BREWERY TOKYO」「SPRING VALLEY BREWERY YOKOHAMA」をオープンさせ、クラフトビール文化を日本の市場に根づかせようと取り組んでいる。

「ビールにもっと多様性を!」そんな強い想いのもと、大企業を飛び出し、子会社を立ち上げた、SPRING VALLEY BREWERY株式会社のマーケティングマネージャー吉野桜子さんに話を聞いた。新たな市場を開拓するために、彼女が取り組んでいることとは?

取材・文:村上広大 写真:玉村敬太

大手メーカーはほとんど同じスタイルのビールばかりで、選択肢が少ない。その状況に疑問を感じていたんです。

HIP編集部(以下、HIP):吉野さんがクラフトビールに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

吉野桜子(以下、吉野):私はもともとキリンビールのマーケティング部でカクテルやチューハイの開発に携わっていました。でも、せっかく社名が「キリンビール」なのに、ビールの開発をしないでどうするんだという思いに駆られまして。それでビールを担当したいと上司に希望を伝えたら、運良く担当を変えてもらえたんです。

スプリングバレーブルワリー株式会社 マーケティングマネージャー 吉野桜子氏

吉野:ビール担当になったことをきっかけに、社内でも特にビール通として知られる、マニアックな人たちに教えてもらう機会が増えました。彼らは世界中のビールに対する知識が豊富で、実際に産地を訪れ、飲み歩いているような人たちなんです。そこで、アメリカでは各州ごとに味わいの違うクラフトビールが生産されていること、まるでワインやウイスキーのような口当たりの多様な銘柄があることなどを知りました。

ただ、私がビールを担当しはじめた2010年当時、日本でビールといえば、大手メーカーの工場で大量生産される「ピルスナービール」が市場の90%以上を占めていました。

こうした状況もあり、社内の一部の方々からは、「ビールの開発は、消費者の好みが決まっているからつまらないよ」と言われるほど。自分が感じるビールの面白さと、社内のビールづくりにギャップがあると思いはじめた時期でもありました。

HIP:ビールの可能性はもっともっと広いはずだと感じていたんですね。

吉野:ワインにしろ、日本酒にしろ、ほかのお酒は生活や食事のシーンに合わせてさまざまな銘柄が選べますよね。自分なりの定番がありながらも、「気分を変えたいときはこの銘柄」というように、お客様の選択肢が非常に多い。でも、ビールの場合は選択肢が少ない。その状況に疑問を感じていたんです。

怒られたって死ぬわけじゃない(笑)。であれば、言ってしまったほうがいいなって思うんです。

HIP:どうして日本のビール業界では、そのような状況が生まれてしまったのでしょうか?

吉野:ビール業界は装置産業なので、ひとつヒット商品が生まれたら、それを大量生産するのが最も利益が出る仕組みになっているんです。もちろんこれまでも、キリンビールはピルスナー以外のビールに何度もトライしているのですが、なかなか市場に浸透せず、保守的になってしまったのかなって。

HIP:ピルスナービールの売上で事業が成立しているから、あまり冒険的なことをする必要性がなかったと。

吉野:そうですね。確かに世界的に見ても日本のピルスナービールはすごくクオリティーが高いんですよ。飲みやすくて、喉越しも爽快だし、日本の夏のように蒸し暑い時期なんかは相性も最高です。だからこそ、ピルスナー至上主義のようなビール文化がいつのまにかできてしまったのかなとも思います。

ただ、私はそういう状況だからこそ、いろいろな商品の開発に取り組みたいと思いました。そこで最初につくったのが「アイスプラスビール」という商品。これは「エール」という、フルーティで個性的な味が特徴の製法でつくられたビールなんですが、いきなりお店に並んでも、消費者は安心できるピルスナービールを選んでしまう。だから、あえて「氷を入れて飲む」という飲み方を提示して、特殊なビールだというイメージを前面に押し出しました。

HIP:反響はいかがでしたか?

吉野:ビール好きの方々からは好評だったのですが、同時に、簡単には解決できない問題にも直面して。そのひとつがマスマーケティングの限界です。それまでのビール会社は、ピルスナービールのブランドを立ち上げ、大量に生産して、多くの方に飲んでもらうビジネスを展開していたので、新商品はテレビや新聞などで大きく広告展開するのが当たり前でした。

しかし2010年代から、SNSを中心としたネットプロモーションの存在感が大きくなりはじめ、個性的な「アイスプラスビール」はその狭間で施策が難しかったのはありました。

もうひとつがビール文化のイメージ。どうしてもビールは「ビジネスマンが仕事終わりに飲むお酒」という印象が強いんです。あえて悪い言い方をすれば、ちょっとおじさん臭い。商品単体だけで訴求するのではなく、お客さまがビールに抱いている印象自体を変えていかなければと感じましたね。

HIP:たしかに、ビールは赤ちょうちんの大衆居酒屋に似合うイメージが強いです。

吉野:いまは働き方をはじめ、人々の価値観が多様化している時代です。そのなかで昔のイメージを引きずったままだと、ビール文化が廃れていくんじゃないかという危機感を持ちました。食事に合わせて飲むとか、甘いものにも合わせてみるとか、もっとビールの幅広い楽しみ方を提案して、豊かなビール体験ができる場をつくりたいなと。

SPRING VALLEY BREWERY TOKYOのメニューには、ホワイトビール、エールビールなどさまざまなスタイルの銘柄が並ぶ

HIP:その思いを体現したのが、代官山にオープンしたSPRING VALLEY BREWERY TOKYOなどの取り組みだったんですね。

吉野:そうですね。事業計画も何もなかったんですけれど、社長に部の業務内容を報告する機会があったので、「私の話を聞いてください」と直談判して、自分の想いをぶつけました。

HIP:企画書ではなく、アイデアの段階で社長にいきなり直談判したのですか?

吉野:私、黙っているのが苦手なんですよね。思ったことはつい口に出しちゃう。怒られたって死ぬわけじゃないし(笑)、ならば言ってしまったほうがいいのかなって思うんです。それにキリンビールって歴史は古いんですけれど社内の風通しはすごく良くて、社長と社員の距離が近いんですよ。同じフロアで顔を合わせて仕事をしますし、すれ違ったら雑談もします。ただ、私のように直談判する社員はあまりいないみたいですが(笑)。

HIP:すごい行動力ですね。反応はいかがでしたか?

吉野:社長の磯崎功典も当時の状況に対して「良し」と思っていなかったようで、「どうせやるなら、スゴイことをやってくれ」という言葉をもらい、その場でクラフトビール事業の立ち上げが決まりました。ただ、「事業計画はしっかりつくろうな」とダメ出しは受けましたが(笑)。

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キリンビールの精鋭たちが集結した「スプリングバレーブルワリーチーム」はいかにして生まれたのか?